「寄稿」

2011年1月24日

本澤二郎の「日本の風景」(668)

<平成の妖怪> 誰かが岸信介を「昭和の妖怪」と命名した。筆者は中曽根康弘に「平成の妖怪」という称号を与えている。理由は天皇制国家主義の旗のもとに、改憲軍拡派として生涯かけて突進しているからである。時代を「暗い明治」に引き戻そうという野望に対して、筆者も必死で抵抗している。平和・軍縮派の宇都宮徳馬は生涯、岸を許さなかった。宇都宮にならったといえなくもない。昨日の右翼ネット新聞は、久しぶりその妖怪の講演会を伝えていた。

 案の定、極右政党と民主党の連立工作をさせたものの、失敗すると、今度は入閣させ、必死で与謝野を持ち上げて、菅総理に「与謝野を100%使いきれ」とわめいたというのだ。「大増税をやらせろ」とハッパをかけたものか。
 中曽根バブルの崩壊で1500兆円の資産を消失させた張本人が、消費税10%論者を閣内に送り込んだのだろう。こんな場面での黒幕登場は、決して格好いいものではない。
 それにしても敵ながらあっぱれだ。彼は92歳の午年である。まだ認知症にかかっていないらしい。2期8年大統領を務めたレーガンは、息子によると1期目にボケが始まっていたという。そうだとすると、我が平成の妖怪は、そんなレーガンの前で、うやうやしくも「日本は不沈空母」とやってのけたことになる。

 この中曽根発言で筆者の中曽根分析は一変した。宇都宮もそうだった。情けないことに、それまですっかり騙されていたのである。若かったころの中曽根に対して、相応の面倒を見ていた宇都宮の衝撃も大きかった。
 この中曽根を徹底支援した人物が、読売のナベツネである。宇都宮が彼の仲人である。読売入社にも宇都宮が関与して成功させたというのに、だ。彼は恩師を裏切り右翼に転向、読売メディアグループを中曽根新聞・憲法改悪新聞に変質させた。腹心で同僚の氏家を日本テレビに送り込んで、二人して現在も日本のマスコミ界を牛耳っている。もっとも、そんなことが永遠に続くことはない。筆者もよく知る元日本テレビ政治部長が、最近彼らの正体を暴いて追い詰めている。
 ちなみに中曽根・ナベツネ・岸の共通の支援者が、右翼のドンといわれた児玉誉士夫であった。児玉の暴力に対抗出来なかったマスコミ・政界をよいことに、3者は有効活用したものだろう。日本政界も言論界も内実は腐敗の極みなのだ。容認する朝日の凋落も見て取れようか。
<スイス元銀行家の内部告発> 話題を変える。数日前から世界の巨額脱税組が怯えているらしい。ご存知、世界的脱税王の多くがスイスの銀行に秘密口座を持ち、そこに巨額資金を保管している。その中には財閥だけでなく、各国の為政者や元為政者らのものも含まれている。むろんのこと独裁者の悪徳資金も眠っているらしい。
 それを元銀行家が暴露、例のウィキリークスに秘密の預金口座と保管資金の情報を流してあるというのだ。同創設者のジュリアン・アサンジが1月17日、ロンドンでの記者会見で明らかにしたのだ。其の数、実に2000人である。
 全て公開すると、世界の悪徳富豪が総なめにされる可能性が出てきたのである。この中に日本人も含まれているはずだから、遺族を含めて関係者らが震え上がって当然だろう。各国の税務当局は固唾をのんで待ち構えている。1000兆円の負債をかかえる日本政府もそうだろう。

 93年にアメリカ政府が1カ月に渡って1日100ドルの旅をプレゼントしてくれた時、通訳・案内人のウイリアム・バレットが「アメリカでは秘密を維持することはできない。いつか必ず暴露される」といって胸を張った場面を思い出してしまった。
 ウィキリークスの時代は続いていくのだろう

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2011年1月23日

本澤二郎の「日本の風景」(667)

<裁判官の正体初公開> 裁判官歴22年の弁護士・生田暉雄さんの講演録(セミナー2010・12)を読んだ。これまで裁判官という特殊な世界を知る機会がなかったものだから、初めて実体験を踏まえた赤裸々な証言に腰を抜かしてしまった。その印象は、失礼ながら精神に異常をきたしている人間集団のようだ。「裁判官は勉強ができる。それが唯一のよりどころ」というだけの特殊な人たちなのである。そこから偏った判決ばかりがなされていまいか。怖いと思う。少なくとも、尊敬と信頼を得られる人間といえるか疑問だ。


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2011年1月19日

本澤二郎の「日本の風景」(665)

<米証券エコノミスト> 日本記者クラブで米証券会社の米人著名エコノミストによる2011年の世界・日本の経済動向を聞く機会を得た。政治の予測も困難だが、経済動向も同じで当たらないものだ。まして本業が株屋ともなれば、利害が直接絡むだろうから、余計にアテにならない場合が多い。それでも多くのジャーナリストが会見場に姿を見せた。混迷期だから、見当違いの説明でもなんでもいいのであろうか。

 「世界のGDP成長率は強くない。先進国と途上国の成長率格差は拡大、金融・財政・為替に変化が出てくる」「インフレ格差はインド・中国などで高くなる。通貨の格差も拡大する」「エネルギーも穀物も値上がる。TPPは日本にとってチャンス」などと流ちょうな日本語で分析した。ワシントンの圧力に屈する菅内閣を後押しするようなTPP認識も披歴して、公正であるべきエコノミストの正体の一端を露呈した。
<日銀に反発> 彼が日銀の対応に怒っている様子を初めて知った。
 真面目なエコノミストは、日銀の八方破れのような暴走に反発している。中曽根バブルの終息にも失敗して、日本沈没の元凶ともなっている日銀である。不況・デフレ解消にと、円を刷りまくって市民をハラハラさせている。通貨の番人も異変をきたして久しい。
 政府から独立しているはずなのに政治に振り回されてもいる。そのことも国民の不安材料でさえある。
 ところが、米人証券マンからすると、円増刷が少ないと文句をいっているのである。円をどんどん刷って円に羽を付けて軽くせよ、そうすれば株屋がもうかるではないか。と、わめいているようなのだ。
 彼を起用するテレビ局は多いと聞く。とんでもない、かなりいい加減なエコノミストではないか。

<日銀法改悪に奔走?> 自分たちの意向を聞いてくれない日銀政策委員を、全部すげ代えろとまで言い張った。アメリカはガンガンとドル札を印刷している。ドルの価値を下げている。原油も何もかもが値上がりしている。
 ウォール街にもドルが流れ込んで、それでも低迷しているアメリカ経済である。ドル暴落を心配するのだが、株屋はそんなことはどうでもいいらしい。こんなエコノミストから政府関係者や政治家は話を聞いて、政策に反映させているのだから、危ないことおびただしい。
 仰天するような発言も飛び出した。20年余の日本の借金尽くめの「財政政策」を成功と断じた。聞き間違えではあるまい。現在、日本の失敗を回避しようとして財政再建を重視する欧州の方に、彼は懸念を示した。欧州において「金融危機が生じよう」と決めつけたものだ。確かにそうかもしれないが、1000兆円の借金で、事実上、財政破たんをした日本よりも、はるかにましではないのか。
 ワシントンの保守派は、財政破たんを許すなと激しくオバマを追及している。米人株屋の無責任発言には情けなくなってしまった。
<生活水準低下> 彼は数字を示しながら日本の生活水準は下がるとも。当然であろう。しかし、上げる方法もあるのだという。それには日本の技術を高めればいいというのだ。それには日本の教育投資を多くすればいいというのだ。「教育投資を引き上げるために高齢者向けの歳出を削れ」と主張した。
 これはお笑いである。日本の教育は思考や想像力に力点を置いていない。東大法学部に代表されるように、それは暗記力で若者を採点している。これではいくら投資をしても成果は期待できない。
 思考力・創造力中心の教育方針に切り替えることが先決だ。それから20年先のことになる。いまの暗記力中心の教育に投資をしても無理というものだ。いわんや高齢者の金を削ることに、どれほどの理解が得られようか。
 1000兆円借金大国の日本は、生活水準をどんどん下げるしか生きられなくなっている。失政のツケである。官僚政治の負の実績なのである。
<日本企業は海外投資> 政府は法人税を5%も引き下げた。財界の意向に屈した、というよりも財界と一体となっている政権なのだ。「国内の雇用を増やせる」という名目だが、事実に反する。
 彼はエコノミストらしい分析を、この場面で披歴した。「日本の企業は国内に投資をしない。儲けの確実な海外に投資をする」と決めつけた。菅内閣の宣伝は偽りというのである。海外で稼ぐ日本企業なのである。

<末期医療に大金> 民主党政権の事業仕分けに参画したという、このエコノミストは「医療制度を改革する必要がある」とも指摘した。末期の医療費に問題が含まれている、というのである。
 これは聞いたことがある。「亡くなるまでの6カ月間に莫大な金を掛けている」という。確かである。「本人にとっても拷問なのだから」という見方も其の通りであろう。
 これには病院の金もうけ体質が関係している。厚生官僚も連携している。これを是正すれば、崩壊健保も再生出来るかもしれない。病院と官僚を抑え込む政治力がない証拠なのだが、いまや病院の貪欲さに屈していられる状況にはない。
<女性・高齢者働け> 彼はとうとう日本の財政の現状と見通しについて、全く触れようとしなかった。其の点で、まともなエコノミストではなかった。「そんなことは言わなくてもわかっているだろう」というのであろうか。
 しかし、高齢者をもっと働かせるしかない、と決めつけた。財政悪化の欧州では、年金給付年齢をどんどん引き上げて先延ばしをしている。「日本も」というのである。「日本は70歳まで働いてもらうべきだろう」といって間接的に財政破たん国家の内実を暴露した。
 「女性・高齢者に働いてもらわないといかん」とも言った。少子高齢化の日本と、財政破たんの日本という現状を踏まえたエコノミストらしい見解なのだ。国債発行も限界にきている日本を、彼は十分に理解しているのである。
<参院定数67議席は賛成> 一つ彼の言い分で賛成出来る提案があった。それは1票の格差を完璧に是正することなのだという。具体的に「参院の定員を11ブロック制・67議席にして格差を無くせばいい」というのだ。
 200人以上もいらない。アメリカ上院でも100人ではないか。50人でもいいくらいだ。衆院の暴走を抑制する参院議員で十分なのだから。これに報酬を半減にすれば、日本再生も夢ではなくなる。
 衆議院も半減にするのである。そうすれば税収のほとんどが、役人の賃金で消えてしまっている現状に大ナタを振るえるだろう。

 菅内閣は閣内に異物を取り入れて大増税を実現しようとしている。公約違反であるにもかかわらず。体内に吸血鬼を抱え込んでいて増税しても意味がない。子供でもわかる理屈ではないか。

 増税の前に国会・政府改革を先行すべきなのだ。
 米人エコノミストは、日本のデフレは今年も続くと当たり前の予測をした。こんなことは筆者でもわかる。大不況に変化はない。

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2011年1月18日

本澤二郎の「日本の風景」(661)

<動くか石井紘基暗殺事件> 正義と勇気を兼ね備えた政治家というと、民主党の石井紘基議員である。彼の右に出る政治家はいない。それゆえに、さる筋に消されてしまった。暗殺されたのだ。米民主党下院議員暗殺事件に対する大統領府と議会の対応に比べて、まるで他人事のように振舞ってきた民主党に猛省を促すために本欄で発信すると、大変な反響に筆者が驚いてしまった。

 彼こそ真っ当な国会議員である。命がけの国会活動をして、本当に命を奪われてしまった。官僚政治に押しつぶされる日本・亡国の日本に衝撃を受けながら、一命をとして入手した極秘資料を鞄に入れて、駐車場に向かう途中、さる筋が放った右翼の死客に暗殺されてしまった。
 正義と勇気の塊のような政治家を、悪しき当局は暗殺という暴挙に及んだのだろう。それがわかっているのに、警視庁も東京地検特捜部も黒幕を追跡しようとしていない。筆者はこれに怒った。
<江田五月法務大臣就任> 特に江田三郎を慕った菅直人と息子の五月に怒りの矢を放った。選挙区を後継した小宮山洋子に対しても。3人に真相究明を求めた。
 あるいは、それが通じたものか、全くの偶然なのか?菅は五月を法務大臣に起用したのだ。二人はことの重大性を悟ったものか。もし、そうだとすると、証拠を改ざんする検察任せにしないで、大臣自ら獄中に赴いて刺殺犯と面会して真相を聞いたらよい。
 民放テレビ記者とのやりとりで、犯人は「自分は頼まれたのでやった」と告白している。彼は暗殺の謝礼に満足しなかったものか。真実を明かそうとしている。江田五月の格好の出番であろう。法務・検察の頂点に立った江田であるが、内閣がいつ沈没してもおかしくないのだから、急いで捜査をして真犯人を亡き石井の霊に報告、ついで彼の正義と勇気ある行動を政治家の指針として称賛、合わせて遺族に相応の名誉と保証をすべきだろう。政府・議会の責任である。
 石井のような政治家が5人もいれば、日本の再生は夢ではない。若手政治家の目標にするのである。石井こそが政治家らしい政治家といえよう。40年余の永田町で生きてきたジャーナリストとして、勇気ある正義の政治家と言う点では、宇都宮徳馬と石井であると断じたい。
<朝日阪神支局襲撃事件> 同じく朝日新聞阪神支局襲撃事件に絡んで、犯人を名乗る人物が週刊誌で告白した。これに朝日が否定、週刊誌も謝罪した。犯人なる人物は「CIAに頼まれた」という趣旨の証言をしたからである。間もなく、その人物は不可解な死を遂げている。CIAが相手だとすると、今の朝日や週刊誌も腰を折ってしまうのもわかる。この事件と朝日の右傾化は比例している。暴力に屈する悲しいマスコミは、戦前と変わっていないのであろう。
<浅沼稲次郎暗殺事件> 社会党の浅沼稲次郎も右翼少年の暗殺で幕を引いて、黒幕を追及しなかった。新法務大臣は裁判官としての経験からして、検察や司法の腐敗を承知しているはずである。彼らの手の内を知っている。
 法務大臣の職権を利用して、石井事件・朝日襲撃事件・浅沼事件、ついでに大逆罪事件を洗ってみてはどうか。これだけに専念しても国民は文句を言うまい。日本の恥部を暴いて真相を明らかにすれば、菅内閣もかろうじてわずかな成果を残せるかもしれない。
<小沢・鳩山狙い撃ちの検察動機> 時間があれば、小沢と鳩山だけを狙い撃ちにした東京地検特捜部の動機も公表したらいい。イカサマのような検察審査会の内実も。
 法と証拠の法務省・検察・警察が問題になっているようでは、法治国家が泣こうというものである。江田法務大臣の今後に注目したい

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2011年1月17日

本澤二郎の「日本の風景」(659)

<石井紘基事件の犯人追及を> 米アリゾナ州銃乱射事件で、地元選出のガブリエル・ギフォーズ下院議員が狙われ、米国社会に深刻な打撃を与えている。脳の左半分に銃弾が貫通、重体のままだ。民主政治を破壊する暴力に対して、オバマ大統領ほか大統領府・議会関係者が黙とうをささげた。筆者は日本における民主党の石井紘基事件(2002年10月25日)が頭に浮かんできた。この事件を悪しき検察・捜査当局は、右翼の犯人を捕まえて投獄しただけだ。黒幕を放置している。

 石井事件を政府与党はすっかり忘れてしまっている。彼が大学の先輩というのを知ったのは、右翼に殺害されて大分経ってからだ。そして彼こそが、悪しき官僚政治によって日本沈没が目前に迫っていると指摘し続けていたということ、そして、その重大事案を白日の下にさらせる資料を鞄に入れて、東京・世田谷の自宅を出ようとしたところで、右翼に刺殺されて資料を奪われていたことを知った。

その後の民放による追跡取材で、犯人は「頼まれてやった」と証言していることも判明している。だが、捜査当局は真犯人を追及していない。「天皇の検察」でしかないことを暴露している。
 2002年といえば、日本政治が天皇制国家主義へと急傾斜、自民党内からリベラル派が敗退しているころであろう。そのころの筆者は、家族を襲った問題で天下国家どころではなかった。

<民主党の責任> 右翼内閣と右翼の犯罪と言う当時の政治環境が、民主党国会議員刺殺事件を政府も検察・警視庁も、いい加減に処理したのであろう。悪質である。
 考えても見るがよい。被害者が重要書類を手にして出たその瞬間に犯人が現れて、鞄から重要書類を抜き取って立ち去った。ということは、彼には当局による内定なり、周辺にスパイを張りめぐらしていたことになる。
 当局とは、この資料が世間に公表されてはまずい勢力ということになろう。民間ではない。公的な機関であろう。彼の手落ちは、その資料を複製していなかったことである。
 改めて正義の国会議員の存在に敬意を表したい。本物の政治家である。彼の後継者は、彼の遺志を継ぐ人材は、いないのか。政権を担当している民主党政府は、どうして真犯人を探し出そうとしないのか。不甲斐ない政党であろうか。
 石井事件を放置する政党は、所詮民主的な政党ではないということである。それは全ての日本の政党にあてはまる。
<菅直人・江田五月の責任> オバマは民主党下院議員の暗殺事件に対して、米国民・米議会を代表して哀悼の誠をささげて、犯人の黒幕捜査に全力投球している。ケネディ暗殺事件のようないい加減な捜査をしないはずである。
 朝日新聞の阪神支局襲撃事件を事実上、放任した捜査当局である。無辜の民を冤罪事件で死刑判決をする検察と裁判所ではないか。証拠を改ざんする検察ではないか。
 せめて「自分は頼まれてやった」と進んで自供している重大事件に対して、真摯に向き合うべきだろう。それを総理大臣として、同僚議員として菅直人は、検察に再捜査を指示しないのか。
 石井は、60年安保騒動でデモの最前線で戦う江田三郎を尊敬した。「彼こそが本物の政治家だ」と心酔して、息子で裁判官上がりの五月の秘書になった。菅も江田に惚れた政治家ではなかったか。菅も五月も石井事件解明について責任があるのである。
 忘れたとはいわせまい。石井事件の真相を明らかにする義務があろう。たとえ、それが国家犯罪だとしても関係者を重罰にすべき義務があろう。日本国民は石井事件を忘却すべきではない。浅沼事件と共に。
 議員を暗殺するという重大事件の処理は、オバマを見習う必要がある。
<小宮山洋子の責任> 知り合いの法律家は小宮山洋子に一目置いている。そんな彼女もこの事件解決の責任を負っている。石井議員の後継者なのだから。石井の無念を受け止め、真相解明の義務を負っているのである。
 江田五月と小宮山は共に菅側近ではないか。菅・江田・小宮山が連携すれば、真犯人はたちどころに判明しよう。わざわざ無責任検察の力を借りなくても獄舎に出向いて、犯人と対話をするだけで可能なのだから。
 こんなことがわかっていても石井事件をいい加減に処理して、由とするのか。
 なぜ、筆者はこれほどこだわるのか。それは、もし彼が生きていて政権の中枢にいれば、鳩山や小沢の官僚政治打倒の主役となれたからである。日本沈没を回避するために働くことが出来たからである。
 日本を潰した官僚政治を脱して、日本再生の契機を作り出してくれたはずだからである。そのカギを握っていた人物と思えるからである。
<石井事件の真相解明を> 石井事件をうやむやにすることなかれ、である。断じて解明せよ、と政府と民主党にいいたい。決断すれば、容易に判明するのだから。例の重要書類の行方も判明しよう。
 CIAの仕業とは思えないが、真犯人は見つかる。彼が「官僚天国日本破産」(道出版)を書いたのは96年4月である。読んでみたい本である。菅・江田・小宮山はこの本を読む必要がある。

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2011年1月13日

本澤二郎の「日本の風景」(655)

<暗愚の宰相へ諫言> 小沢追放にのみに関心を示す暗愚の宰相は、残る課題に対して税金を引き上げることに懸命である。さらに景気を冷え込ませ、雇用を減らそうということらしい。法人の大幅減税で雇用が増えるわけではない。統一地方選の資金確保ではないか。財界・財閥を太らせて民衆の懐に直撃しようとしている。主権者はすっかり官閥・財閥主導の菅内閣に裏切られ、怒り狂っている。


 韓国の大統領の年俸は1304万円、大臣は743万円である。まず日本の総理・大臣は半減すべきではないか。機密費も半減にしたらいい。身を削ることが先決だろう。
 英BBCを見習うというNHKは、日本の金融機関役員の法外報酬にNOといわない。沈黙している。民放も新聞も、である。その点でBBCは市民の怒りをぶつける報道をしている。日本の金融機関はほとんど税金を払っていないが、イギリスは法人税を多く納めている。日本の格差は役人と財閥役員によって拡大している。
<高速道路料金を廃止せよ> 思い出すと、民主党人気の公約はアメリカ並みに高速道路の料金の廃止だった。これに多くの国民は賛同した。人と物の移動が活発化する。そこに消費が生まれる。経済活性化の決め手である。
 民主党はこの公約を破ってしまった。国交省の役人の反発を抑えられなかったのだ。責任は前原にある。
<ガソリン暫定税率廃止せよ> 悪しき政策の一つは、日本のガソリン代金の高さにある。民主党は暫定税率を廃止すると公約した。これにも多くの無党派市民は賛同した。
 これも財務省官僚の反発で止めてしまった。菅の責任である。
 国民の多くが賛同した公約を断行すると、大がかりな行財政改革をしなければならない。これこそが官僚主導の制度の1大改革の契機となるのだが、民主党政権は共に公約を破って、国民を失望させた。
 暗愚の宰相にいいたい。この二つの公約を断行したらいい。政権は間違いなく浮揚しよう。党内抗争に突進している暇はない。
<前原更迭を> 松下政経塾のリーダー格の極右前原の活動にはうんざり、である。尖閣問題を表面化させて日中関係をぶち壊し、両国民に不信感を与えた。そして中国敵視の防衛政策を閣議決定、改憲軍拡の潮流へと大きく踏み出した。右翼・国家主義そのものである。筆者が極右と決めつける理由である。暗愚の宰相のお陰でもあろう。
 正月早々にワシントンを訪問、東アジア緊張政策の推進でクリントン国務長官と合意した。ワシントンに手玉に取られていることさえわかっていない。ワシントンは中国政策に対して二重の外交政策を打ち出している。軍事面で対抗する一方、外交面では微笑外交を演じている。
 前原ほど腰の軽い、口の軽い外務大臣も珍しい。更迭せよ、といいたい。
<異変続きの世界> アメリカとスウェーデンで大量の鳥が死んでいる。不気味な現象である。
 韓国の口蹄疫の拡大も異常である。ウォン安で、輸出拡大に成功したこの国に暗い影を落としている。日本からの観光客は相変わらずのようである。
 オーストラリアの大洪水にもびっくりさせられる。気候変動は地球全体に及んでいる。それでいて地球温暖化防止に愚かな為政者は、対応を怠って宇宙だ、なんだと国威掲揚に必死である。
 アメリカ同様、戦争国家そのもののイスラエルでは、外交官らがストをして首脳会談がキャンセルされている。
 誇り高いフランス語に執着するフランス人は、とうとう乱暴なフランス語を連発するサルコジ大統領にNOを突きつけている。日本でも漢字を正確に読めない総理大臣がいたが、フランスでも、ということか。
<軍縮のスペイン> スペイン政府は財政悪化を理由に軍事費を大幅に削減している。イギリスに学んでいる。緊張を作り出して改憲軍拡の日本政府とは対照的である。その一方、中国人観光客の受け入れに必死である。これはまともだろう。
<中国の税収・8兆元> 日本の税収30兆円台は政治家と役人の賃金ですっかり消えてしまう。異様な財政破綻国家だが、隆盛の中国は8兆元の税収という。香港のテレビ報道で知った。8兆に15を掛けると日本円が出る。購買力は日本の10倍はあるだろうから、間もなくアメリカを抜くことも夢ではない。政策を上手に進めることが出来れば、中国の時代は間違いない。
 中国のプラス要因は、日本やソ連・アメリカの失敗を教訓として生かせる点である。
 この税収を人民に公平に配分すれば、中国の福祉・医療・年金も充実すること間違いない。政府・党の政策がうまく機能することを切望したい。腐敗防止の徹底と財閥化企業役員への監視も怠るな、と忠告したい。
2011年1月7

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2011年1月 5日

本澤二郎の「日本の風景」(650)

<連合も大増税推進宣言> 正月早々に意外な報道が飛び込んできた。日本を代表する労働組合の連合会長が、菅官内閣が推進する消費税の大幅増税計画にワル乗りしたというのだ。労働組合を庶民・大衆の代表と受け取る向きは、現在も少なくない。そこからの大増税受け入れ宣言に戸惑った市民は多かったに違いない。大増税は景気をいっぺんに冷やす。大企業・財閥に対しては5%減税だ。庶民には5%消費税アップという路線を民主党支持の連合がOKしたというのである。


 松下財閥・政経塾・PHP研究所路線を突っ走る菅内閣であることが、税制面でくっきりと理解することが出来るだろう。あるいは、マスコミが報道しないため、理解できない民衆も多いかもしれないが。それにしても労働組合が大増税を容認、推進する役目を担った例は過去にはない。この財閥・官閥主導の日本政治は、外交安保政策面では日米韓軍事態勢の推進強化・中国敵視政策というのだからお話にならない。
 均衡を欠いた菅官内閣が、極右勢力に乗っ取られていることが理解できよう。

<古賀会長は松下一派> 古賀という人物は何者か。ネットで調べてみた。このネットというのは、実に便利なもので、問題人物の経歴がすぐ判明する。昔の取材と比べると、まことに効率がいい。
 なるほどと頷いてしまった。彼は松下電器産業出身である。松下労組だ。労働貴族の典型である。政経塾とは身内の間柄といってもいいだろう。政府もそうだが、支援労組も松下一派なのだった。
 自民党にも松下から金をもらっている議員がいたと記憶している。財閥の暴走の一環なのであろうが、そうだとしても連合までもが大増税に加担するとは、やはり驚きである。
 腐ったリンゴそのものの、財閥にぶら下がる労働組合と言えるだろう。これでは、日本の将来は暗澹たるものである。
<労働貴族と政治家・役人は共闘> 軍拡と増税・戦争体制と大増税は歴史が証明している。表は福祉のためと称して民衆に負担を強要する悪政の最たるものである。財閥は減税で暴利の一部を政界や官僚に還元するだろう。
 民衆もよほどなめられている。自分たちがバブル経済で踊り、暴利を手にして酒池肉林の生活を送ってきた。崩壊して1500兆円の大穴をあけると、無知な市民をよそに借金尽くめ、その間隙をぬって金融制度の安定確保などとほざいて血税投入だ。こうして財閥は生き残ってしまった。これが過去25年の日本政治、すなわち官僚政治・官財閥政治の正体だった。
 莫大な借金を抱えた企業は生き残るために、役員と労働者を半減、給与も半減するしかなかった。家計では収入に合った質素な生活をする。ご飯と味噌汁だ。昔は麦飯だ。戦後はサツマイモをご飯の中に入れた。漬物のタクアンで生き延びてきた日本人である。
 だが、現在の日本の政治家や官僚にはその発想がない。役人天国の給与に変化はほとんどない。官僚の代表である人事院が、財閥給与を基準にした給与体系を答申してきている。日本の政治家・役人は世界的レベルの高給を懐に入れている。
 その原資は孫たちの借金である。年間30数兆円の税収も役人の給与でほとんど消えてしまう日本の財政である。
 まともな為政者であれば、40兆円の予算を編成、役人の給与を10兆円程度に抑えるしかない。現状は92兆円の予算を編成した菅官内閣である。亡国の予算なのだ。
 身を削るという当たり前のことをするのが、先決である。議員と役人の定員と給与の半減から、まず始めなければならない。これに蓋をしている政界と官界、言論界である。財界だけは減税だ。そして自分たちの特権的給与・体制は温存して、大衆に大増税を課すというのである。
 こんな不条理を労働貴族の連合と政治家・役人が共闘する日本ということになる。20年前からわかりきったことをしてこなかった官閥政治である。理由は、関係者の不正に蓋をかけて責任をとらないようにするためであった。
 主役の中曽根は本来、蟄居閉門の身のはずである。大連立工作に暗躍する立場にはないのである。

<平和運動を放棄した悪しき労組> 筆者は以前「連合の罪と罰」(データハウス)を世に問うたことがある。平和運動を放棄した労働組合に失望したからである。労働貴族化は日本政治の右傾化に貢献した。革新政党を内部から崩壊させた。財閥の手に落ちてしまった労働組合のその後には、衰退だけが待っているというのに。
 今も悪しき連合が民主党にまとわりついて、個々の議員に横やりを入れているのである。同党が健全化するわけはない。崩壊する日本の象徴なのであろうが、4月の統一地方選と総選挙を想定すると、日本沈没は止まることはない。
 ヒトラーのような人物が登場する素地が、急速に形成されているようにも感じられる春以降の日本政局なのか。
 大増税の前に為すべきことを断行する政治家が出てこない不思議ニッポンである。
2011年1月3日

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2010年12月31日

本澤二郎の「日本の風景」(642)

<ワシントンの罠> アメリカという国のことについて教えてくれた人物というと、宇都宮徳馬である。彼はリベラル・民主主義の明るいアメリカを、同時に産軍複合体のアメリカを教えてくれた。後者が突出すると、戦争するアメリカとなる。ベトナム戦争だけではない。年中、地球のどこかで武器・弾薬を行使している覇権国家・帝国主義国家である。市民・労働者のための民主国ではない。

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2010年12月29日

本澤二郎の「日本の風景」(641)

<お粗末・小沢排除闘争> 自民党の派閥抗争を30年、40年と付き合わされてきたジャーナリストから採点させてもらうと、民主党の党内抗争は実にお粗末きわまりない。国民の政治不信は、年金や健保など福祉政策が崩壊しつつあることへのいら立ちがある。雇用対策にある。高速道路無料化・ガソリン暫定税率廃止という無党派市民が切望した公約放棄などにある。それをないがしろにしての党内抗争だ。狙いは小沢排除による政界大再編・大連立を実現して、その先の憲法改悪というシナリオが見え隠れしている。

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2010年12月26日

本澤二郎の「日本の風景」(636)

<日米密約また表面化・国民不在の服従外交> 日本は独立国といえない新たな密約が、12月22日に公開された外交文書で明らかになった。72年の沖縄返還にからんで日米政府は核撤去費用として3億5000万ドルの支払いを約束した。ところが、他にも6500万ドルの支払いを密約、協定を結んでいた。6500万ドルの検証をする責任と義務が日米両政府にある。

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2010年12月24日

本澤二郎の「日本の風景」(625)

少し遅れたが読売のナベツネの大連立の動きを批判した本澤二郎さんのコラムを紹介しましょう。読売は批判できないとしても、なぜ朝・毎は批判しないのか。テレビは沈黙しているのか。本澤さんの コラムここにあり という感を深くする。以下コラムです。(事務局)

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2010年12月17日

本澤二郎の「日本の風景」(621)

<日米安保改定50年> 日本の全土を揺るがした学生・労働者・市民の反対デモを押し切って強行された1960年の日米安保改定から、今年は50年である。もういい加減、アングロサクソンのアジア太平洋覇権戦略から解放されなければならないはずの日本である。それなのに不思議なほど静かである。安保破棄どころか深化させると、自民党右派政権顔負けの民主党政権の対応である。日本国内も隣国からもNOという声が聞こえてきていない。外国の軍事基地そのものの日本・沖縄だというのに、沈黙が列島を覆っている。

 確かめたわけではないが、マスコミも沈黙している。当たり前のように続行してゆくと信じ込んでいるようなのだ。あえて言おう。愛国心云々とわめくのではない。自立しようとしない日本と日本人に、正直なところ辟易するばかりなのである。
 もちろん、中曽根流の自主防衛・軍国主義化を求めているわけではない。それには断固反対である。それにしても平和・軍縮派、反戦・平和派はどこへ行ってしまったのか。右翼に呑み込まれてしまったものか。不思議な日本なのである。むろん、強力な仕掛けが存在している。アングロサクソンの罠が仕掛けられている。そう筆者の目にはくっきりと映る。
<朝鮮半島の緊張> 日米安保改定50年の2010年前半に、北朝鮮が仕組んだ魚雷が韓国の哨戒艦の真下で爆発、沈没するという事件が発生したという報道が、ワシントンとソウルで繰り返し公にされた。いかがわしい魚雷の破片に北朝鮮を示す文字がその証拠だとした。だが、この証拠は公正な第3者を十分納得させるものではなかった。
 アメリカ在住の韓国人の科学者らが「問題証拠である」と決めつけた。有楽町の外国特派員協会の記者会見に筆者も立ち会ってみた。頷ける調査に驚いてしまった。兵器については素人だが、敵艦船の真下に到達したその瞬間爆発するという、手品のような魚雷を北朝鮮が保有しているだろうか。どう想像たくましくしても納得できるものではない。
 また学者らが指摘しているように魚雷爆発後にも、確認出来るような文字が魚雷破片に残っているだろうか。高熱で消滅してしまうか見分けつかない状態になる。それがくっきりと残っている。不可解な証拠である。そうだとすると、ワシントンとソウルの宣伝する北犯人説は怪しい。筆者にはCIA説といいたくなるのである。
 朝鮮半島に緊張を作り出す工作と見るべきではないか。その工作は見事に成功したことになる。そうして北朝鮮の目と鼻の先で、これ見よがしに軍事演習を強行した。挑発とは韓米側ではないか。
 その後の北朝鮮の発砲事件は、まんまと韓米策略に引っ掛かったと見たい。冷静にみれば、一方的に北朝鮮を非難できまい。結果は、新たな緊張作りに成功したことになる。韓国政府はそそくさと軍事費の増額予算編成を公表した。韓国内の平和運動を抑え込んでしまった。
<尖閣問題> 尖閣諸島での中国漁船侵入事件なるものも、うさんくさいものである。6時間もの長時間、追いかけ回した揚句の拿捕と船長逮捕である。好戦派の前原の決断とその背景にワシントンの意思を見てとれる。日本単独で決断できる事案ではない。
 中国の反発こそ東京とワシントンの狙いだったと分析すべきだろう。北朝鮮のみならず中国をも、ワシントンが仕掛けた罠に引っ掛けてしまった。両国民の対立感情をあおったものだ。民族主義化による対立作りなのだ。冷静な判断とはこういうものだろう。
 漁船拿捕は、以前はソ連の専売特許だった。日本にとってはタブーだった。松下政経塾の傀儡政権のもとで表面化したものである。それ以前の日本政府の判断には、中国漁船を追跡して、追跡して拿捕するという選択肢はなかった。
 東アジアにおける緊張作りの一環と捉えるのが正しい。
<日米大軍事演習と防衛大綱見直し> 極め付きが、現在行われている日米大軍事演習である。日本周辺のきな臭さを、意図的に無知な日本国民に対して新聞・テレビで印象付けているのである。
日米軍の大暴走である。
 金のない日本である。孫たちに借金させている日本政府の判断が、こうなのだ。亡国そのものであることが理解できるだろう。
 中国と北朝鮮に対抗する、仮想敵にした軍事演習に平和国民は、ただじっとしているだけというのも情けない。
<沈黙議会と政府と国民> 議会が大荒れして当然の事態であろう。だが、それもなさそうである。
 民主党は自衛隊の南西方面への大移動を強行する防衛大綱に改めようとしている。それだけではない。財閥の意向に沿って武器輸出を可能にする一大政策変更を、これまた強行しようとしている。
 この異常事態に野党・自民党から批判はない。同党右翼議員が期待している中身だからである。公明党や共産党からも強い批判は聞こえてきていない。国会を取り囲んでの怒りのデモもない。静かなのである。
 自民党と右翼小党は、小沢排除による政界再編に的を絞ったままである。権力闘争に国会活動の大半を割いている。これまた亡国の様相を呈している。
<大連立と改憲軍拡路線> 昨日、右派メディアの代表を任じる読売新聞は、民主党は小沢を切り捨てて、自民党との大連立を、と訴えている。
 狙いはいうまでもない。改憲軍拡を一気に推し進めようとの一大野望実現のためである。これこそが、東アジアの民衆に襲いかかる最大の政治的危機なのである。半島や大陸の学者の覚醒を希(こいねが)うものである。
 ワシントンと財閥・官閥の野望でもある。政経塾の野心ともいえる。推進役は92歳の大勲位と「堕ちた言論人」の執念を見てとれる。
 本来、1000兆円もの借金で首の回らない日本財政である。防衛費をゼロにして、役人と議員の定員と報酬を共に半減するような大事態である。ギリシャどころではない。一連の緊張政策は、こうしたまともな軍縮政策をもみつぶすだけではなく、危機を煽ることで平和憲法をも解体しようとしているのである。日米安保の深化のための"緊張狂騒曲"なのでもある。少しだけ頭を働かせればわかるだろう。
 戦前の帝国主義に郷愁を抱く輩が未だに存在することに驚くばかりだが、こんな大それた国家改造を東アジアの民衆は黙認・容認するだろうか。その多くを騙せるだろうか。
<不思議の国の前途> 半島と日本周辺での緊張政策は、計画され、仕組まれて実施されているのである。こうした分析をしないマスコミどころか、緊張作りのお先棒を担いでいる。戦前の軍国主義を煽ったこととどこが違うだろうか。
 無知と無関心で過ごしていいのであろうか。
 昨日、東北新幹線が青森まで全線開通した。中国であれば1年足らずの工事期間を30年、40年もかけている。これが今の日本の実力なのである。東北新幹線の全線開通で、何か大きな経済的な変化が起きるだろうか。起きない。借金が膨らむだけである。わかりきっている。
 不思議の国に変わりはない。

 「油断大敵」とあえて東アジアの民衆に訴え、指摘しておこうか。
2010年12月5日8時55分記

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2010年12月12日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(9)

<ヤオ族学生と夕食会> 苑さんと学校に戻ると、院生2年の譚君が国際交流中心のロビーで待機していた。彼が夕食に誘ってくれたのだ。学生の招待に気恥ずかしい感じがするのだが、これも中国社会の変化を物語っているのかもしれない。確か2度目かも。しかし、一人から声がかかったことは初めてだ。

 彼は座談会形式の授業のさい、質問というよりも自分の意見を大声でとうとうと述べたあと、筆者に感想を求めてきた。その日本語力と日中関係分析は、他の学生を抜きん出ているような印象を周囲に与えた。彼の担当教授もそばにいたものだから、後で「これから私の通訳をしてくれ」と驚いて声をかけたという。一躍、彼は日本語を学ぶ学生の注目を受けることになった。
 東洋人は万事控え目を旨としているが、彼はむしろ自己主張に熱心な欧米の若者のようであった。目立つ存在である。だからといって強引という嫌味などない。素直な中国青年の一人である。

 彼は学校近くの小奇麗な食堂に案内した。午後5時過ぎだから客はまばらだったが、店を出るころは満席になっていた。彼は少数民族・ヤオ族といった。
ヤオ族という固有名詞を聞いているが、目の前で出会ったのは譚君が初めてだった。
 しかし、他の中国人と何も変わらない。母親は漢族だという。子供は父親の姓に従う中国だ。ともあれ、彼はヤオ族のエリート学生に違いなかった。「外交部試験に挑戦する」という。なんとか合格してもらいたい。彼の語学力なら全く問題ないだろう。ただし、入省枠は二人。250人の全国から選抜された学生が挑戦するというのだから、厳しい登竜門を潜り抜けなければならない。
 彼は湖南省の出身、父親は地方公務員、母親は教師だが、現在失職している。感じではエリート学生の多くの親は、公務員や教師が多い。日本もそうかもしれない。社会構造を熟知しているからだろう。筆者は農村・農家の生まれだ。勉強など無縁の生活環境で育った。大学教育など遠い彼方の世界でしかなかった。いわんや外国語を学んで、それを使用して生活するという思いは空想でしかなかった。
 やはり育ち・環境が、子弟の将来をかなり決定するものかもしれない。その点で譚君は恵まれていた。
 多数民族国家の中国は社会の安定確保のために小数民族を優遇している。その恩恵も受けた譚君なのかもしれない。「将来、結婚して子供が出来たらどうする?」と尋ねたら、彼は躊躇なく「ヤオ族ですよ」と言って笑った。
 彼の正義感がわかって安心した。「地方の役人の腐敗はひどいですよ。皆自分の懐に入れることばかり考え、行動している」といって怒りを露わにした。腐敗を憎む若者の登用を、この国の政府にもっと望みたい。
<中日関係史学会で講演> 料理をすっかり忘れてしまったが、隙を見てテーブル上の請求書を奪い取り、会計台に辿り着いたが、一瞬彼の方が先回りして支払いを済ませてしまった。なんとも律儀なことか、このときも驚いてしまった。帰国後、Eメールに見事な日本語の礼状が届いた。しかし、誰なのか?いたずらか、そう考えて写真送信を求めたら、なんと譚君からだと判明した。

 宿に戻ってくると、電話が鳴った。明日の中日関係史学会行きに、中部大学に1年交換留学した陶君が案内してくれるという。バスか地下鉄を利用した方が安全である。彼に任せることにした。タクシーだと渋滞時間だから約束時間に遅れる心配がある。
 睡眠時間にはまだ早かった。中国青年報の知り合い宅に電話をかけた。中国社会科学院日本研究所の王副所長にめぐり会ったことを伝えようとしたのだ。既に編集幹部で大活躍の主は留守だった。代わって夫人が電話に出た。大分日本語が上達し、仕事に子供の教育にと東奔西走している王さんである。
 彼女は「明日の講演会に行く。車でご一緒しましょう」と提案してきた。このうれしい提案に即座に賛成した。北京市民のハンドルであれば、時間通り到着するはずである。
<うれしい再会> かくして11月5日王さんは、お土産持参で筆者と陶君を軽自動車に乗せて、無時約束の時間前に学会ビルに送り届け、自らも講演を聞いてくれた。メモを取っていたからには、夫にも話の概要を伝えたにちがいない。
 例によって、徐事務局長が喜んで迎えてくれた。彼の部屋で茶をすすっていると、中国人民外交学会の黄星原秘書長が現れた。筆者を見ると、何度か会っているという。そういえば、そんな感じもしてきた。東京の大使館で仕事をしていた、という説明で思い出した。久しぶりの出会いだ。
 彼は大人(たいじん)の風格を感じさせる御仁である。「次回はうちで講演してもらいたい。事前に連絡してほしい」とのうれしいあいさつをプレゼントしてくれた。

 講演会場に入ると、そこでまた懐かしい人物と出会えた。雑誌「人民中国」の王衆一編集長だ。彼こそ正に巨漢である。彼と一度会えば、誰も生涯忘れることはないだろう。中国青年報編集長から政府要人になった幡岳氏との会見のさい、彼が通訳をしてくれたことから友人となった。日本語力抜群の、この雲をつかむような巨漢が「先生、お久しぶり」と声をかけてきたものだから、ますますうれしくなってしまった。
 「友よ、遠方より来る」という会場雰囲気に、講演をする前から嬉しくなってしまった。中日関係史学会の存在も高まるばかりで、この日は通訳もついた。
<丁民さん健在> 感動したのは、目の前の丁民さんが居眠りするどころか、必死でメモを取ってくれている。肖向前さん亡きあと中国外交部OB最長老である。王コウ賢夫人の先輩でもある。見事すぎる体格と風格の持ち主が、小さなノートに細いペンを走らせる姿は、話をする側にとって格別な感情を抱いてしまうものである。研さんの成果を評価してくれているのだ。そう思うと、やはり感激してしまう。訪日すると、必ず後藤田正晴と会見していた丁民さんである。

 後藤田が中曽根内閣官房長官をしている時、料亭での宴席だったが、筆者が「今からでも総理大臣を目指してはどうか」と声をかけた。彼は「もう年(とし)だよ。若ければなあ」と口惜しそうに言った言葉を思い出してしまった。そばに総理の中曽根がいた。「わしの目の黒いうちは改憲させない」という公約は守った。宇都宮徳馬の水戸高の後輩である護憲・後藤田の後継者は出るのか。筆者は中国には沢山いると信じている。

 才媛そのものという印象を与えるCRI日本語部の傳頴部長と今回初めて交流できた。彼女の活躍も楽しみだ。国務院発展研究中心の董永栽研究員、商務部国際貿易経済合作研究院中国対外貿易研究部の金拍松副主任とも名刺交換した。後者は米国の研究開発力を重視する見解を示した。筆者はそれには戦争から手を引く米国に、帝国主義的外交を止める米国政府という条件を乗り越えないと無理だろうという認識を持っている。
<「橋のない川」を紹介> 講演内容はここでも初めて、権力を握る官閥の日本が、明治以来今日まで継続しているという政治分析を紹介した。それに対抗した鳩山―小沢体制が官閥勢力に敗北したこと、後継内閣は松下政経塾の傀儡政権である、財閥と官閥の菅内閣であること、ワシントンに服従する政権であること、などの特徴を解説した。
 そして日本問題の根幹は天皇制にあるという事実にも言及した。「橋のない川」を読むと、真相が見えるので読んで欲しいと要請した。するとどうだろう、事務局の担当者がパソコンから「橋のない川」の紹介文をコピーして20人ほどの専門家に配布した。この手際のよい対応に驚かされてしまった。
 あとでこのコピー文をみてわかったのだが、そこでは単なる差別を取り上げた内容といった紹介である。表は確かに差別だ、しかし、裏は天皇制の恥部を暴いた見事な作品である。ここの部分をわかってもらいたい。そう念じたい。
 思えば徐事務局長とは長い付き合いになる。初めて出会った中国人が彼だった。今はどうか、昔は日本の友人を中国観光に連れて行ってくれた。雲南省のレストランでは山盛りのマツタケをご馳走になった。彼は筆者のために全く口に入れなかった。
 20余年前の開発目前の深センを見せてくれた。一人深センからものすごい数の人民の大移動の中にまぎれて、橋を渡り香港に出て、そこから電車に乗って九龍の空港に辿り着いた時は、まるで赤子が旅するかのようで心細かった。
 上海では72年の田中―大平一行が泊まった錦江飯店で疲れを癒した。彼の両親も上海で日本軍の被害を受けていたという事実を、目の前で語ってくれた時は大いにうろたえてしまった。其の時から、日本は中国人の多くに、それこそ耐えがたい大き過ぎる災いをもたらしたという、まぎれもない真実と向き合うようになったといっていい。
2010年11月21日13時20分記

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2010年12月10日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(8)

<日中首脳会談の思い出> 日中国交正常化交渉について思い出してもらった。72年9月だ。筆者も同年早々に政治部に配属され、ポスト佐藤の自民党総裁選取材を担当した。山口政治部長から大平派を担当するよう指示された。初めて夜回りをした相手は世田谷の鈴木善幸邸だった。大平派参謀の鈴木自らジョニーウォーカー赤ラベルの水割りを作ってくれた。居間のテーブルには水産族のドンのせいで、新鮮な刺身が盛られていた。隣に共同通信の三喜田記者もいた。自民党派閥についても無知、未知な世界で筆者は、必死で両者の会話を聞くのに懸命だった。ために、初めて口に入れた英国の高級酒の味もわからなかった。

 黒塗りのハイヤーに社旗をたなびかせる夜回りという深夜取材に振り回されることになるのだが、そのころから反福田連合の政策の柱が日中国交回復だった。三木派の日中友好代表格の宇都宮は、独自の党内人脈を利用してワシントン工作に余念がなかった。
 後年彼は「中国は戦争被害の賠償を受け取らないということがわかった。もし、かつて日本が清国やロシアに対してやったように、逆の立場となったらどうしようか、このことが一番の心配だった。莫大な賠償を支払うということになれば、日本の経済成長も止まってしまう。しかし、周総理はそれを要求しないという。それを確認して、これなら日中国交回復は出来ると自信をもった。そこで残る最大の壁のワシントン対策に突進した。サンタバーバラ会議が駄目押しとなった」と筆者に何度も語っている。
 政治記者になり、大平派を担当、合わせて宇都宮との交流から、歴史にも政治・外交にも無知だった筆者は、戦後最大の外交問題に興味と関心を抱くようになってゆく。
 大平派の総裁選作戦本部は、首相官邸西側にあるホテル「キャピトル東急」だった。宇都宮もよくここに筆者を連れて行ってくれた。衆院議員から参院議員になったころの彼は、夕刻になると秘書のOさんを呼んで、冷蔵庫から缶ビールを出させた。二人で乾杯した。中国の青島ビールだ。同ビールの存在に気付いた。宇都宮の中国好きはアルコールの世界にも及んでいた。
<厳しかった2回目会談> 「田中・大平―周恩来会談は9月25日から29日まで。通訳は私と李さん。大変でした。特に2回目のやり取りは厳しかった。田中総理が歓迎宴で発した言葉です。侵略という言葉は徹底して避けてきた。確か、日本は長い間、中国に迷惑をかけた。深く反省しているという内容でした。これに対して首脳会談で"迷惑とは何だ"と激しいやり取りが続きました」
 この激しいやり取りを二人の通訳が大汗を流したのだ。思うに、歓迎宴での田中発言にまで大平は気を回す余裕などなかったのだろう。数千万人が想像を絶する被害・災いを受けている中国の人民に対して「迷惑をかけた」では話にならない。
 この「迷惑」発言のやりとりで「1日も費やしてしまった。ましてや日本政府は侵略したという言葉もつかわず、ぼやかしてしまった。後の村山談話ですっきりとさせたが」という不甲斐ない日本ではあった。筆者は、ここにこそ天皇制という不可解な縛りが存在している日本なのだと思いたい。宇都宮の指摘でもある。率直に謝罪させない、出来なくさせている特異な政治体制なのだ。
 王コウ賢夫人の思い出話を聞いていて、そう判断せざるを得ない。大平の苦悩と苦心もここにあったのかも。
<台湾問題の処理> いよいよ交渉は本題に入ってゆく。それは台湾問題だった。日本は日華条約を締結していたからである。ワシントンもこれには目を光らせていた。「日華条約の破棄」は中国政府の大原則だったのだから、その処理も容易ではなかった。
 「中華人民共和国は中国を代表する唯一の政府、台湾は中国の不可分の領土、日華条約は破棄する、という復興3原則を認めることについても時間がかかりました。台湾問題は覚書貿易時代から常に問題になっていました。台湾は内政問題が中国の立場でしたから。特に、高島条約局長が台湾は既に賠償を放棄しているという主張に対して、周総理は本当に怒った。台湾にその資格があるのかと」
 結局のところ、共同声明と大平会見で難問を処理した。知恵である。台湾との政治的関係を切って北京の立場を実質受け入れた。台湾にテコ入れる東京の右翼勢力とワシントンを前にして、大平外交はワシントンに釘づけされている外務官僚も抑え込み、見事決着を付けた。
 「田中総理の決断力もすごい。そして本当の知恵を出した大平外相のコンビによって国交回復が実現したと言えるでしょう。トウ小平さんも大平先生と3回会っています。彼は大平先生のことを指折りの政治家と絶賛していました」
 田中の決断力と大平の知恵で、戦後最大の外交問題を処理出した、戦後初めて自立した日本政府なのだった。彼女に復興後の印象に残る政治家を指摘してもらった。すると大平、宇都宮、後藤田正晴、伊東正義の4人をあげた。
 伊東は大平の盟友・親友である。後藤田を政界に押し込んだ張本人は田中である。現在の小沢は田中門下生、鳩山由紀夫の父親もそうである。人脈は生きている。日中友好派と反中右翼派の攻防が、今も繰り広げられている。後者の中核が前原や野田の松下政経塾だ。仙谷や枝野は前原グループである。いわば、かつての台湾派の青嵐会という構図になる。
 自民党右翼政権よりも右傾化したネオコン政権となろうか。
<永田町の変貌に驚愕する外交部通訳> 王コウ賢夫人との雑談を、途中からあわててメモを取り始めた。日中関係史そのものだからである。彼女の先輩・肖向前さんの時もそうしていた。ジャーナリストの義務だし、特権でもある。上海では周恩来通訳の周斌さんにもそうした。周恩来を知る3人の語学の達人から話を聞くことが出来たことになる。
 劉理事の配慮か、昼食の用意までしてくれた。油の少ない健康中華料理が素敵な部屋のテーブルに並んだ。高給レストラン以上である。学食に満足する人間だが、それでも静かな館での食事と料理もまた格別である。

 日本の政情を解説させてもらった。松下政経塾内閣分析に夫人は驚きの声を上げた。そのはずである。松下財閥は、いの一番中国に進出した財閥企業だ。その配下ともいえる政治集団が、反中派という説明に腰を抜かすばかりなのだ。
 「トウ小平さんは松下幸之助さんと会っている。非常にいい印象を持っていました。本当にびっくりです」
 人のいい中国人ということになろうか。騙されやすいのは筆者も同様である。筆者は進歩的発言をする中曽根康弘に騙された政治記者である。それゆえに「大勲位・中曽根康弘」(健友館)を執筆、その場で夫人に贈呈した。「ちゃんと読みます」と約束してくれた。そういえば肖向前さんも中曽根のために骨折り、周恩来に会わせたのだが、やがて総理大臣になると裏切られた。
 騙し、騙されるのは政界の常だが、それを外国にまで拡大するのは間違いである。外交は武力ではない。誠心誠意であらねばなるまい。大平を学べ、といいたい。
<宇都宮邸の秘話> 「最近は孫の世話で忙しい」という夫人は、日本での思い出を尋ねると「宇都宮夫人ととても親しかった」といった。その上で意外な秘話を打ち明けてくれた。「中日貿易を前進するために、それまでの前払い制を改めようとの話し合いが密かに進行したのです。松村先生はランの愛好家だったので、ランの訪日代表団を東京に派遣することになった。孫平化、王暁雲と私も加わった。周総理の指示です。直ぐ行けということで。池田内閣が延べ払い方式にOKしたからです。そのための密会場所が宇都宮邸でした」
 「代表団から我々3人が宇都宮邸に入ると、既に通産省の担当者が2階の部屋で待っていました。これによって中国はビニロンプラントの工場を中国に輸入することが出来ました。これは松村先生からの1本の電話、すなわち池田総理の意向だったのです。密談の場所を宇都宮先生が提供してくれたのです。63年のことです」
 うれしい秘話である。これに宇都宮邸もかんでいたのである。この時代の宇都宮邸は、現在の神奈川県大和市の中央林間ではなく五反田ではなかったか。そう理解したのだが、実は中央林間だった。宇都宮は、このことを孫の徳一郎君にも打ち明けていた。
<前門のサンザシ> 実に爽快・痛快な日中関係史をベテランの周恩来通訳の王夫人に聞かせてもらい、筆者と苑教授は大満足だった。72年の国交正常化後の日本留学組第1号となった劉理事は「またどうぞ」と声をかけてくれた。
 肖向前さんが91歳で亡くなり、中日友好協会と関係が切れてしまったと思っていたら、そうではなかった。心が通じ合える限り、人脈は切れないのである。「中国とは誠意だ。誠意があれば必ず通じる」が宇都宮の筆者への遺言である。

 苑さんと長安街に出た。歩いて天安門広場を横切り前門に出た。昨年の今頃、学生が案内してくれた。ここにある有名な北京ダックの店に案内してくれたのは蘇夫妻だった。
 昨今、観光客にとって北京市内の一番人気というと、王府井からここ前門街に移っている。一度食べてみたかった、串に団子の形をしたサンザシをご馳走してもらった。
 苑さんは我が夫妻向けにシルクの襟巻を購入した。この人の配慮にはあきれるばかりである。東京ではコーヒーしかサービス出来ない筆者だというのに。
<コーヒー店でおしゃべり> 前門から地下鉄に乗った。結構な混雑であるが、さりとてさほど深刻なほどではない。1回乗り変えれば学校近くの駅に着く。下車した後、目の前にあるマクドナルド店でコーヒーを飲みながら、雑談に花を咲かせた。
 苑さんの博士論文は石橋湛山研究である。彼を評価していた宇都宮という関係だから、話題は広がる。今日の王夫人の話は、彼にとっても興味深いものだった。
 人間は皆同じだ。だが、欲に絡む人間もいる。彼らが権力を悪用する。すると、そこから略奪・戦争が始まる。資本に振り回される人間が、問題を引き起こす。ほどほどというルールをわきまえないからだ。
 この輩は現在、ワシントンに集中している。東京にも。資本と権力の癒着に警戒を怠ると、そこから大事件が発生する。苑さんもこのことに注目している学者である。
2010年11月20日13時40分記

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2010年12月 9日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(7)

<池田内閣の対中友好政策> 宏池会を設立、そこを足場に政権を担当した池田勇人内閣について周恩来通訳の王コウ賢夫人は、先輩の孫平化さんから聞いたという話を紹介してくれた。
 「池田総理は、僕は2枚の顔がある。1枚はアメリカに、もう1枚は中国の顔だ。松村謙三さんを中国の顔になってもらった」

 筆者は初めて聞いたのだが、恐らく事実であろう。富山県の福光町に行くと、親中派の松村記念館がある。同町は妻の父親の出身地だ。岳父の親は村長か町長をしている。自宅など不動産を町に寄贈したため、現在は広岡家の墓地しか残っていない。時事通信の内外情勢調査会の講師として富山市で講演をしたさい、ついでに立ち寄って当時の町長と面会、確認したのだが、そのさい、松村の故郷であることを知って記念館を見学した。
<背後に大平戦略> 池田の中国重視は、先輩の吉田茂の影響もあろう。実際は大平正芳が推進していた。官房長官・外務大臣として、である。この下りを肖向前さんから教えてもらった。大平の友好への情熱が72年の国交回復へと結びついたものである。彼はそのためにも田中内閣結成に力を振り絞った。
 たまたま筆者は自民党大平派を担当した。大角連合は三木派を巻きこんだ。小数派の中曽根派も。そうして台湾派の岸信介や佐藤栄作が支援した福田赳夫を破って田中内閣が誕生した。大平は幹事長を蹴って池田内閣に次いで2度目の外務大臣に就任、3カ月後に決着をつけた。
 あっぱれ大平戦略である。浅沼や石橋の夢を実現したのは、田中と大平、実際は大平が池田内閣から積み上げてきたものだった。それは宇都宮の悲願でもあった。機会あるごとに筆者の訪中を進めたのは宇都宮である。
 それにしても池田の作戦も抜きん出ていた。
<宇都宮の北京ルート> 宇都宮の北京パイプは想像するに皇族の世界を飛び出して、戦後に北京に渡って周恩来の信頼を手にしていた西園寺ではないか。彼を宇都宮邸の観桜会で目撃したことがある。車いすだったが。宇都宮は戦前、皇族内閣で知られる近衛文麿ブレーンをしていた、と筆者に打ち明けている。其の時に西園寺と面識が出来たのではないだろうか。二人とも同い年だ。
 数年前、二人の生誕100年祭が北京で行われた。「ここの場所でしたよ。私もあいさつしました」と王夫人は語った。ということは、生誕100年を祝う会を北京の元西園寺邸で開催したようなものなのだ。
 彼女は「宇都宮先生は周総理に石橋さんを紹介していました」と証言したのだが、民間大使となった西園寺を通じて周総理は、いち早く宇都宮のことを承知していたのだ。石橋を国慶節に招いたのも、周恩来―西園寺ラインだったのだ。そうしてみると、西園寺亡きあと遺族の面倒に必死だった宇都宮を理解できる。
 田中はロッキード事件、大平は福田派の攻勢によって最期は病に倒れてしまった。反中右翼の源泉に天皇制を利用する、それこそ悪しき勢力の存在に辟易するばかりである。宇都宮が「諸悪の根源」と決めつけた理由もはっきりしてくる。官閥と財閥は、今回も牙をむいて鳩山と小沢に襲いかかった。しかし、両者が消え去ったたわけではない。断じて屈してはならない。

 周総理の通訳人は、苦労人で実業家、そして政界入りした高碕達之助のことにも言及した。LT貿易の主役で知られる。それにしても彼女の記憶力はずば抜けていてすばらしい。どうして高碕と中国の関係が出来たのか。
 「55年のインドネシアのバンドンで開かれた国際会議で周総理は高碕先生とお会いになりました。私はLT貿易の関係でリョウ承志さんと何度も会いました」
周恩来発言で印象に残る言葉を紹介してもらった。
 「日本軍国主義はごく少数の者たちだ。広範な日本人民も被害者である。これを何度通訳したことか。また中国に残って国共内戦を戦った日本人に対して、それこそ周総理は感謝をこめて、友好の種、平和の種であると繰り返しました。解放戦線で軍医として、また従軍看護婦として。しかも彼ら彼女らを強制して中国に残したものではない。自発的なものだったと。ですから絶大な信頼をもっていたのです。友好の種と何度も何度も言っていました」
 「特に撫順の戦犯管理所に関心を寄せていました。武器を手放せば、もはや敵ではない。日本からの家族の手紙を許せとか面会をさせていました。中国は食糧不足だというのに、日本人は白米を食べているのだから、と言って白米を出していました。全て周総理の指示でした」
 こうした史実を知るのに筆者でも大分時間がかかった。今の人たちにとって不思議なことかもしれない。しかし、事実なのである。争いから得る物は何もない。友好がいいに決まっている。共に幸福を享受できるのだから。
 中国の発展に周恩来の果たした役割は実に大きい。彼のいない中国を誰も想像出来ないだろう。中国からの帰還者の多くが周恩来ファンになって当然であることも、王コウ賢夫人の思い出話で理解できるだろう。
 「昭和5年生まれ」という夫人は大連の小学校で日本語を学んでいる。長春の女学校で中国語を学んだという語学の天才だ。
2010年11月19日9時45

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2010年12月 1日

本澤二郎の「日本の風景」(616)

<大逆事件> 友人に薦められて「大逆事件」(岩波書店)をようやく読んだ。といっても深くというには程遠い。とても気の重くなる内容で、途中何度も投げ出し、逃げ出したい気分だった。神格天皇制国家主義の犯罪事件だというのに、現在の平和憲法下でも裁けない。それは「天皇の裁判官」「天皇の検察官」だからである。

 戦後の民主主義がまやかしでしかないということを、この事件は申し分なく教えてくれている。非戦の憲法、言論の自由など人権保障の憲法が、戦前の天皇制に真正面から向き合えていないのである。そのことを作者・田中伸尚は、本の後半部分で伝えている。
<冤罪の原点を裁けない司法> 前半は、正に冤罪事件で処刑された遺族の厳しいほどの生活苦、そして社会・地域など周囲の冷酷な視線と仕打ちに読者を打ちのめさずにはおかない。人間としての誇りを全て放棄させられて生きる遺族・関係者の悲惨な生活に、良心のある日本人であれば、いたたまれず同情せずにはおかないだろう。
 せめて「大逆罪」とか「不敬罪」といったとんでもない悪魔刑罰を廃止した戦後に、関係者を復権させるという当たり前のことをすべきだった。それさえもしていない。それを最近まで知らなかった、無知な自分にあきれるばかりである。
 日本人の大人がこの程度なのだから、いわんや外国の日本研究者がわかるはずがない。たとえ運よく理解しても、問題の本質に踏み込むことなどできないだろう。

 さらに衝撃的な驚きは、「大逆事件」のたった一人の生き残りの冤罪被害者が、戦後に再審の要求を起こしたことに、民主化したはずの司法がはねつけてしまったのだ。多くの国民は、このことさえ筆者同様に知らないのではないか。「橋のない川」の作者が、執拗にこの事件を取り上げていたが、格別に理由のあることだと悟らされた。
 「天皇の官僚」(データーハウス)を書いた本人である筆者は、今日の司法も「天皇の裁判官」「天皇の検察官」で運用されている事実を、あえて指摘せざるを得ない。冤罪多発の風土は依然として存在しているのだ。
 アメリカの知日派で知られるマンスフィールド元駐日大使は「日本人は戦後、民主主義を見事に確立した成功例」などという歯の浮くような言葉を発散させて、愚かな知識人を喜ばせたものだが、実際はこれもまやかしなのであろう。あるいは、彼の眼力を覆すような巧妙な官僚の罠にはまったものか。
<官僚政治と政治主導政治> 外交は内政の延長とよく言われる。借金超大国の日本は、それゆえに内政に明るい材料などない。無い袖は振れぬ、ともいう。金がないのだから、景気浮揚策もあったものでもない。ただでさえ孫たちに借金をさせて呼吸をしているありさまだ。これさえもわかっていない国民も少なくない。知らせると国民の反発が強くなるからだ。世界で最悪の国家財政だから、打つ手がない日本に景気も雇用もNOである。
 これが官僚任せの自民党政治の終着駅である。だが、この「官僚の、官僚による、官僚のための政治」構造を国民はわからない。知らない。学者も。鳩山内閣がこれに槍を突きさしたのだが、官僚政治と政治主導の内容を、そもそも国民は知らない。マスコミも官僚と癒着、評価しているものだから、余計にわからない。
 筆者が官僚政治を突き崩そうとしている鳩山と小沢の政治路線を評価するのは、それが当たり前の民意主導の政治への路線転換を期待できるからなのだが、多くの市民はそこが理解できない。アジア重視・日米対等という鳩山路線は、正に官僚政治からの離脱・脱却の象徴なのだが、そこがまた多くの国民に理解されない。理解させようとしない側も未熟である。
 鳩山と小沢が沈没した背景・黒幕さえ理解できない国民とマスコミである。そうして再び官僚主導の内閣が政治を行っている。このことも理解できない。いわんや外国人はもっとわからない。
 政権交代後に東アジアは大きく揺れている。緊張を意図的に作り出している。謀略外交さえ理解できない。筆者が中国への友好の旅を敢行したことにも、友人でさえ理解してもらえないのである。隣国との友好は外交の最優先事項である。それさえも理解しないお粗末人間ばかりの日本人である。
<軍拡に共鳴する市民> 数日、千葉県の館山方面を旅した。中国でも機会のなかったカラオケ時間を手にした。そのオーナーは大工さんだ。大変な資産家である。話を聞くと、地方経済が破綻状況にあるといって嘆いた。
 「年間の税金が200万円。しかし、仕事がないから払えない。不動産を売ろうにも買い手がいない。万一、売れても譲渡税を支払わねばならない。民主党政権は駄目だ」
 「政府は金がないのだから消費税を上げればいい。同時に国会議員の定員、報酬を半減する。そうすべきだ」
 ここまでは話が通じる。「金がないのだから歳出削減を。真っ先に防衛費を削って福祉を充実させてはどうか」というと、なんと大反発してきた。
 彼は軍拡論を展開したのである。北朝鮮や中国をやり玉に挙げて、金がないというのに、それでも軍拡というのである。この選挙区にはヤクザ代議士の息子が防衛大臣をした土地柄でもある。軍拡の行き着く先は戦争である。憲法が禁じているというのに、軍縮による福祉の充実に関心を見せない。
<マスコミの世論誘導> 「小沢の彼女」と週刊誌で書かれた女性代議士の実家も近くにある。さまざまな要素も複雑に絡むのだろう。そうだとしても軍拡論には辟易させられた。背景にマスコミの世論誘導の成果をみてとった。
 不況で人々の精神状況は激しく揺れている。そこへと政府サイドは、人々の視線を外に向けさせる。その主役がマスコミである。中国に「反前原」「反政経塾」「反菅内閣」は間違いなく存在する。しかし、反日は存在しない。日本人だからといって、冷たい視線を浴びることなどない。危険な場所もない。
 ごく一部の若者にいるのかどうか。中国人は依然として友好的である。リコールされたトヨタ車の人気は高いままだ。日本製品の良さを誰しもが承知している。
 日本マスコミは、人々を反中派へと軍拡派へと追いやっているが、中国に「反日」は存在しない。不況でマスコミも編集方針が揺らいでいるのである。友好こそが、いま最も重要なのである。
2010年11月30日15時20分記

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2010年11月26日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(6)

<中日友好協会を訪問> 11月4日午前、苑さんの案内で北京市のド真ん中にある中日友好協会を訪問した。地下鉄利用なので時間調整が楽である。少し早く着いた。歴史を感じさせる協会の建物は、随分前に来て見たことがある。日本人もよく知る孫平化会長との会見、その後に20人の仲間を案内して北京・天津を旅した時、副会長の肖向前さんにここで講演してもらった思い出も残っている。そこへと久しぶり足を踏み入れた。

 改装されていた。華麗さを備えて、一段と歴史の偉容を感じさせていた。快晴だったので、落葉樹からの零れ日で中庭を和らいだ雰囲気に包んでいた。同じく改装された正面反対側の建物が、かつて西園寺公一が住んでいたのだという。初めて知った。
 近くには北京最大の大通り・長安街が走っている。王府井(ワンフーチン)も。79年の初訪中を思い出した。大平正芳総理はここで餃子を食べた。筆者は一人で百貨店に入ったりした。するとどうだろう、黒山の人だかりができた。まるで有名俳優になったようだった。
 少しばかり歩けば、権力の中枢の中南海である。天安門と100万人も集会が出来たこともある広場も。人民大会堂も見えてくる。広大すぎる長安街の主人公は、かつての自転車から自動車に変わっている。目の回るような中国の工業化・近代化であった。筆者は誰よりもその証言者なのだ。
 間もなく総人口13億人から14億人になるらしい。
<周恩来通訳・王コウ賢夫人> 今回の訪問は周恩来通訳として有名な王コウ賢夫人。中日友好協会副会長と周恩来トウ頴超研究中心顧問である。我がパソコンに正確な「コウ」の漢字がないのが寂しい。
 入口の門に友好交流部の李昆さんが出迎えてくれた。玄関先には対外友好協会理事も兼務している劉子敬理事が待ち構えていた。粗雑人間にとって、こうした礼儀正しい対応ぶりは恐縮してしまう。主役の王夫人に対して冒頭「宇都宮徳馬事務所で見かけたが、その時は名刺交換する勇気がなかった」と切り出して、その後に夫人の中日友好史を語ってもらった。
 彼女が印象に残る日本人は高良とみ。戦後に平和・婦人運動家で活躍した女傑で、高良が北京大学3年生の王さんをスカウト、52年に大学を中退して通訳の道に飛び込んだという。日本人女性が彼女の能力を見染めたというのも興味深い。
 53年に紅十字訪日団の通訳として日本の土を踏んだ。「ものすごい歓迎」に圧倒された。「びくびくでした」と言って懐かしそうに零れそうな笑顔を見せて振り返った。そして「京都の市民は私たちを見て、なんだ!日本人と同じではないかと。それまで日本では、ソ連を鉄のカーテン、中国を竹のカーテンと呼んでいた。新聞は竹のカーテンが開かれたと報道した。朝7時に出発、戻るのは夜の10時。すごい日程でした」とも。
 高良との出会いと初訪日の印象は特別なのであろう。
<命を賭して日中友好に貢献した浅沼稲次郎> 毛沢東と日本要人との会見も思い出してもらった。浅沼稲次郎と石橋湛山との通訳である。社会党書記長・委員長を歴任する浅沼は、北京で「米帝国主義は日中両国人民の共同の敵」という本質を突いた有名発言で、帰国後に右翼青年に刺殺(60年)された。黒幕は?CIAなのか。
 「毛沢東主席は湖南省訛りが強い。なかなか聞き取れない。そこで周総理が事前に自分との会見に同席させてくれた。耳を慣れさした後に大役を果たした」という秘話は面白い。広大な中国は通訳泣かせなのだ。ちなみに王夫人は東北出身である。
<共通する岸・菅内閣> 彼女は浅沼の貢献を終生忘れなかった周恩来を次のように紹介した。「浅沼先生を、周総理は論理明晰で、日中はアジアが大事だ、何としてもアジアを良くしたいと言っていたと。外交学会などでの講演では、先見の明があった日本人の中には、命を犠牲にした方もいる、と言って浅沼先生に言及していた」という。
 浅沼の勇気と行動力が今の政界には、とことん欠けている。言論界もそうだ。右翼化することで身の安全を図る輩ばかりが目立つ。鳩山や小沢に続く政治家の台頭を祈りたい気分である。
 「鳩山―石橋内閣が中日友好関係の高揚期だった」と指摘する周恩来通訳は「岸内閣当時の総理は、よく民をもって官を促すといって、民間重視を繰り返し訴えていた」とも明かした。

 岸内閣で友好関係は破綻した。今の菅内閣同様に。現在は民間交流を重視する時なのだ。「岸は台湾の大陸反攻を支持した。中国の見本市で中国旗が破られる事件が発生(長崎国旗事件)したが、犯人を処罰しなかった。こうして貿易が中断、困ったのは日本の中小企業だった。総評議長が北京にやってきた。周総理は貿易3原則を打ち立てて対応した」という。
<石橋を案内した宇都宮> そのころ、石橋が宇都宮の案内で北京を訪問した。国慶節に合わせてだった。天安門上で毛沢東と石橋は対面した。このときの通訳も王夫人だった。
 石橋内閣は日中国交回復を外交政策の柱にして、これを実現しようとした。だが病魔に倒れてしまい挫折、岸内閣が誕生すると、友好の流れはもろくも逆転してしまった。蒋介石とワシントンの右派と連携する内閣なのだから。衝撃を受けた石橋は、宇都宮と図って北京に入る。周恩来との会談で、特に健康に自信のあった平和・軍縮派の宇都宮は、重大な決意を固めた、と筆者はみる。むろん、周―石橋・宇都宮会談にも王夫人が通訳したはずである。
 宇都宮に「一番尊敬できる中国要人は」と質問すると、彼は即座に「それは周恩来だよ」と断定した。不思議な魅力を兼ね備えていた指導者なのだ。多くの中国人も同様である。
 周批判を聞いたことがない。池田内閣が誕生すると、再び両国の関係は良好になってゆく。
2010年11月18日15時00分記

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2010年11月25日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(5)

<外交学院の講義> 11月3日午前10時から外交学院の日本語学科の3年生と4年生を相手に、日本政治の権力構造について社会科学院日本研究所で行った講演とほぼ同じ内容を分かりやすく話した。実はこの講義は本来、日本語教師の海老原先生の時間である。彼女が筆者のために時間を提供してくれたものだ。彼女の日本語教育は、その道においてよく知られている。中国政府から感謝状をいただいているほどである。

 恐縮しながらの講義である。この授業でも戦前の日本の権力に軍閥・財閥のほか官閥の存在を説明した。財官閥の生存権確保の手段が、神格天皇制を人々に徹底することと、超大国との軍事同盟であったことを理解させた。そうすることで日本は、日清戦争と日露戦争に勝ち抜くことが出来たと。
 大英帝国と同盟を結ぶことで武器弾薬面の有利さを確保、かてて加えて天皇のための死が靖国神社の英霊の道につながるという幼児からの異様教育と神道崇拝を徹底することで目的を達したものだ。因果の法則をわかってもらった。皇国史観なる異様な歴史観の存在が、今日までみられる日本の不思議さを理解してもらえたかもしれない。
 アングロサクソンのアジア政略にも言及した。アジア人同士を戦わせるのである。そうすることで自らは手を汚すことはしない。愚かなアジア人同士の殺し合いによって、大英帝国はまんまと莫大な利益を懐に入れることが出来るだろう。
 この悪しき政略はロンドンから現在のワシントンに移転している。従ってアジアは、こうしたアングロサクソンの政略の罠にはまってはならないのであると。今のワシントン戦略は日中分断にあるということも。
 アメリカの恐怖は日中の連携にある。それがアメリカの消滅をも意味しかねないからである。
 なぜワシントンは、鳩山内閣を普天間問題で追い詰めて退陣させたのか。それは明瞭だろう。東アジア共同体の実現に動き出した鳩山内閣に、ワシントンは恐怖感を抱いたのだ。自立する東京にワシントンは震え上がったのだ。
 ワシントンの実権を握る産軍複合体は、緊張する東アジアでのみ莫大な軍事利権を手にできる。東アジアを平和の地帯にしてはならない。これがワシントンの策略なのだ。
 韓国での哨戒艦沈没事件の真相と真犯人も透けて見えてくるだろう。30人ほどの学生が講義に頷いてくれた。
 住井すえさんの「橋のない川」についても紹介した。日本にも立派な女流作家が存在したということを。
<午後は院生交えて真剣勝負> 午後1時30分から1,2年生の大学院生を中心に座談会形式で講義を行った。3,4年生と院生からの質問を受けて、それに回答しながら進めた。苑崇利教授ら日本研究センターの教授3人も加わった。
 日本語が未塾な教授、学生らのために院生が通訳した。わかりにくい説明には、苑さんが通訳を補完した。質問は以下の通り。
 「ロシア大統領が北方領土を視察した理由は何か」「釣魚島での中国漁船拿捕と船長逮捕は、どうして発生したのか」「日本政府が国会に提出したビデオは改ざんされていないか」「日本の抱える領土問題というと、ロシア・韓国・中国とあるが、この違いは何か」「日米同盟に終わりはあるのか」「民主党の鳩山内閣はアジア重視・日米対等を打ち出して、中国との関係がよくなった。ところが、菅内閣が発足、前原のもとで衝突事件が表面化した。中国も対抗措置をとった。背後のアメリカも事件原因の一つだろう。中国は主導権を取り戻せるのか」「前原と菅総理の考えはどうなのか」「日本のマスコミはどうして反中国報道に必死なのか」「小沢はかわいいおじさん。彼の運命はどうなるのか。気になって仕方ない」

 午前と午後に渡ってぶっ続けの講義となると、やはり疲れる。1時間ほど部屋で休息をとった。しかし、およそ日本のおしゃべり不勉強学生を知る者にとっては、中国のエリート学生とのやり取りはそれなりに真剣勝負である。うれしい疲れだ。
<社会科学院の胡さん> 社会科学院の窓口になってくれたのは、日本の婦人問題を研究している胡さんである。幸せな家庭を築いている中産階級の学者だ。夫はビジネスにと役割分担している。
 子供を連れてよく旅行もしている。近くに両親もいる。日本での苦労が見事に花開いている、そんな印象を受ける。何よりも他人に優しく親切である。貧者の日本人ジャーナリストに大好きな粥料理店へと誘ってくれる。この日の夜もそうだった。
 「先月は両親を連れて上海万博に行ってきた。高齢の両親のお陰で混んでいる館を見学できた」と言って白い歯を見せた。筆者などは混んでいなかったアフリカ館しか見られなかった。もっぱら人間を眺めて過ごした。彼女には幸運の女神がいつもいるらしい。
 彼女は筆者を理解してくれる数少ない中国人である。そして今回も「社会科学院の日本研究はしっかりしている」と太鼓判を押した。別の友人から松下政経塾研究を開始している、との情報を得ている。彼女の車の運転もなかなかのものである。
<夜の訪問客> 利発そうな院生らが訪ねてくれた。大学のキャンパス内だから学生寮も近くにある。数分で宿にやってきてくれる。原因は苑教授が貸してくれたパソコンの操作がうまくいかない。作動しない。そこで学生が助けてくれたのだ。
 普段は聞かれない話を打ち明けてくれた。秘密でもなんでもないのだが、筆者にとってありがたい情報である。
 それはインターネット規制に対する怒りである。
 「深センでの台湾財閥企業で出稼ぎの青年が次々と自殺した。12人まで犠牲者の名前がネットに出ていたが、13人目から消してしまった。役人と企業の腐敗ではないのか。許されない」というのである。もっともだと同情した。
 資本と権力の癒着が、事態を悪化させている。日本も同じである。財閥と官閥の癒着は、資本と権力の一体化なのだから。

 このとき初めて中国外交部が、若者らの批判にさらされているという事実を知った。弱腰外交を批判されているのだ。
 日本政府は「いけいけどんどん」とばかり突っ走った。其の結果、レアアースの輸出禁止という対抗措置となった。すると、あわてて財界からクレームがついて中国船長を釈放した。釈放すると、今度は日本政府に「弱腰」との右翼からの批判が噴出した。攻守所を変えたのだ。
 歴史は、弱腰と非難を受けることの方が後になって評価を受けるものである。

 筆者は日本人の常として平和デモに賛成である。非暴力抵抗主義はガンジー流として人類が評価している。だが、学生は「政府は平和デモさえも抑制している。北京・上海の規制は特別」というのである。「内陸部の規制は弱い」とも言った。
 学生の中には「NHKはやりたい放題。小さいことでも大きく報道する。しかし、中国はその反対。ストレスは高まる一方だ」との声もあるという。これもわかる。
 こうした苦悩する中国政府と若者の事情を多くの日本人は知らない。中国の党と政府は、日本政府や前原外交批判を必死で抑制しているのである。日本人批判、日本人嫌いではない。反日でもない。前原や菅内閣の反中行動に怒っているのだ。それさえも抑制する中国政府・外交部に反発しているというのである。
<宏池会に久しぶり> 話は変わる。本日午後、東京・青山で高校時代の同期会が20年ぶりに開かれた。筆者は初めて参加者なので48年ぶりか。浦島太郎そのものだから、相手の顔と名前が一致しない。10人程度の同期会と予想したのだが、30数人が参加した。人間は隣国ともそうだが、普段からの交流がとても大事なのだ。
 現に話の合う同期生は少なかった。筆者のよく知る小坂善太郎・同徳三郎が関係した信越化学の広報担当をしていたMさんとおしゃべり出来た。彼は肺がんの手術をしたというが、表面上はしゃんとしていて安心した。もう一人は、嫁いだ先の夫の両親を10数年介護したというTさんである。血がつながっていない義理の親たちを、真剣にそれこそ自分の命をかけての自宅介護したTさんに人間性を強く感じた。両手は介護の厳しさを物語っていた。世の中に良い人間はいるものなのだ。心が洗われた。
 帰宅途中、赤坂の宏池会に寄ってみた。1年ぶりか、もっと長いだろう。事務所正面に宮澤喜一の筆による宏池会の大文字の額が飾ってある。事務局長の佐々木君がいた。「政経塾内閣は自民党右翼レベルだ」というと、彼は「確かに政経塾のコントロール塔であるPHP研究所の出版物は異様な本ばかり」と相槌を打った。
 菅内閣も長くは続かない。解散なのか?「自民党は選挙区の3分の1が未だ支部長が決まっていませんよ。来年は統一地方選挙。総選挙は無理でしょう」という。すると菅内閣総辞職、代わりは岡田か前原だが、「政経塾総理は無いでしょう」と予測した。岡田内閣なら日中関係は今よりも改善することになる。果たしてどうなるのか。
2010年11月17日22時45分記

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2010年11月24日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(4)

<言論も官財閥主導の日本> 数日、田舎の埴生の宿に行って明るんできた柚子をもいだ。お世話になった宇都宮さんの子息に宅急便で送った。無農薬と新鮮が唯一の取り柄である。家庭菜園の大根を数本抜いて東京土産とした。巨木になった楠木の枝をはらった。70年代、自民党記者クラブ(平河クラブ)に同党が「緑を増やそう」というキャンペーンを行ったさい、クラブに持ち込まれた苗木を3本いただいて植えたものが1本だけ成長、今や埴生の宿の土台を揺るがすまでになって手がつけられない。


 移し替えればよかったのだが、それをする知識がなかった。無知の怖さだ。同じように鳩山―小沢体制は、官僚任せ政治から政治主導の政治に切り替えるさい、官僚の防衛術を十分理解していなかった。用意周到でなかった。官僚体制を十分掌握していなかったことが敗北原因である。今後の教訓となろう。
 官僚と財閥は検察だけではない。言論も配下に手なずけているということも。これこそが日本権力の実像であると、中国の日本研究者に知らせる旅だったのだが、果たしてどれほど理解できたものか。
 この官財閥の基本路線が天皇制と日米同盟である。日本の学会も野党も気付いていない。日本が民主化出来ない高いハードルである。

 妻が珍しく11月13日付け朝日新聞の朝刊を買って居間に放置してあった。昔はずっと愛読紙だったが、16年か17年前に右翼の武装攻撃に遭遇するや、反権力という言論の基本を放棄した朝日である。現在は読売体制寄り新聞に傾斜して迫力がないので、新聞購読を止めた。
 リベラルな自民党の元閣僚などは東京新聞に切り替えた。友人弁護士は毎日新聞に代えたが、仕事の都合でまた朝日に戻した。目を通すと不平が先に立つ。「新聞はリベラルでなければ健全といえない。権力に屈する新聞はジャーナリズムではない。言論の腐敗は許されない」といつも警鐘を鳴らしていた宇都宮さんであった。
 彼は保証人となってナベツネと氏家を読売新聞に送り込んだ。彼の生涯の失敗作だった。この二人が、マスコミ界を未だに牛耳っている。マスコミの右傾化はいかんともしがたい現状といえよう。

 さて13日付けの朝日を開いてみて、改めて官僚にゆだねる紙面構成が、筆者の目に飛び込んできた。3面に「日本外交は誰が中心でしょう」「ぶれる官邸の指示」「対米関係の失敗が発端」という見出しが躍っている。
 菅―前原外交を皮肉っているのだが、見出し最後の「対米関係失敗」は、鳩山内閣の普天間問題が原因だと決めつけている。これはひどい。
 普天間基地はいらない。そうした思いを実現しようとした鳩山外交を日本のマスコミは、あげてワシントンの言い分ばかりを支持・支援報道をした。そして日米外交を壊したとして、鳩山内閣を退陣させた。それが菅外交にも引き継がれているというようにも読める。悪質な朝日の記事である。読売や産経レベルである。日米同盟礼賛の立場を貫いている。

 極めつけは元外交官・霞が関の官僚を登場させて「菅内閣は日米安保を生かし折衝を」と言わせている。なんとも低級な論調であろうか。馬に食わせるような紙面である。社説1本に100万円、150万円も払うという官財閥新聞に成り下がってしまったのか。
 まだある。4面の肩の記事は、これまた官僚宣伝である。写真まで載せている。「憂う2官僚、さらば霞が関」「シンクタンク設立へ」「内からの改革に限界」という見出しである。
 官僚は行政官である。法律を正しく公平に運用する業務である。政治を采配するものではない。官僚の思いを、政党・政治家が採用しないから「辞める」というのでは筋違いだろう。役人失格だ。そんな人物を宣伝する紙面だ。「自民党政治であれば辞めなかった」ということらしい。
 この傲慢な官僚を誰が資金提供するのか。ここを知りたいのだが、朝日は意図的かどうか記事にしていない。腐敗レベルの内容でしかない。友人弁護士のように朝日復活という気分には、とてもなれない。
<北京での電話取材> 本題に戻ろう。11月2日午後、宿舎の外交学院国際交流センターに戻ると、夕食にはまだたっぷり時間があった。ありがたいことに中国の市内電話は無料だ。公共交通も安いが、電話はタダである。知り合いに電話をかけた。
 北京で観光業を営んでいる陳君の携帯に電話した。彼は「尖閣・釣魚問題は、お互い自分の言い分をぶつけ合っている。それにしても、日本の過剰な報道ぶりには日本政府もかんでいると理解している。これでは解決できない。喧嘩するよりも共同開発がいい」と指摘した。正論だろう。
 対立に成果など生まれない。仲良く、が良いに決まっている。それでいて、なぜ中国漁船拿捕という前原決断だったのか。これまでは海保の巡視艇が追い払うだけで済んできた。それを今回は漁船拿捕と船長逮捕であったのか。
 担当大臣の判断にはワシントンの後押しもあったと推測可能であるが、そこまではっきりと彼にはわからないだろう。ひたすら友好を祈る陳君である。
 彼に「前原が率いる松下政経塾を知っているか」と尋ねてみた。「知らない」と言った。それでも「前原はアメリカの支持を得ているだろう」との感触を口にした。日本外交に日本単独行動はない。ワシントンの役割について、日本でも仕事をした陳君には、何となく理解できるようだ。こうも言った。「清の時代、中国は海上封鎖した。その間、日本が手を出したのではないか。いずれにしろ民族主義的な一方通行のような立場を貫くと、軍事問題へと行ってしまう」と懸念を漏らした。
 隣人とは友好にこしたことはない。喧嘩両成敗だ。人類の知恵であろう。
<民主党に失望する元老外交官> 北京大学卒業が元副総理の唐家センと同じだったという陸さんがつかまった。彼とは東京の中国大使館時代に知り合った。帰化を手伝った福建省出身の祝さんという女性の後見人のような人物だった。彼は現役時代、台湾問題の仕事をしていた。そのせいか一人娘が台湾人青年と結婚したほどである。
 北京に戻って夫人とのんびり過ごしていたが、今年の年賀状で「妻を亡くした」という訃報を知らせてきた。これはきつい。経験者でないとわからないだろう。人間はいずれ皆、こうした運命に遭遇することになる。人生最大のピンチを誰しも救済不可能だ。生きる糧がなくなる。気になって電話したのだが、案の定、以前のような鋭い日本分析をする気力を失っていた。「政治に関心は薄い」という。大いに納得するしかなかった。雑談で気を紛らわせるほかなかった。

 娘の話題から台湾が話に出た。「台湾印象はいい。大陸の人にも親切に応対してくれる」と娘の新たな故郷を評価した。大陸も台湾もいい方向に進行しているのであろう。
 その勢いでか「来年は春先に日本にも行きたい」とも言った。郷愁のなせる技かもしれない。桜の季節を見たいというのである。そう言ったあと「来年の状況がどうなるか」とも懸念も漏らした。「日本の右翼が問題を起こすかも」という不安である。
 「中国には、一部の過激な行動をする若者などが一般の中国人の中にはいない。日本のように全ての日本人を反中派にするようなやり方をしない。日本政府はおかしい」と政府批判を口走った。当たり前の反応なのだ。
 それというのも「民主党には期待を抱いてきた」からである。しかし、現実は「悪くなってしまった。非常に残念だ」とうめく。
<松下政経塾政権に反省しきり> 政権を手にした松下政経塾のことに話題を変えてみた。なんというか。
 「政経塾はよく中国に来ていた。其の時はとても親中的で好感を抱いていた。どうして政権を取った途端、急に思想、やり方が変わった。不思議でならない」
という。騙しの手口に引っかかったことに、今ようやく気付いて「不思議だ」と繰り返した。「窓口は外交学会だった。其の時は時々付き合った。いま中国は反省している」とも打ち明けてくれた。

 財閥・松下が中国に飛び込んだのは速かった。北京空港から市内に向けて車を走らせると、松下工場が現れる。この宣伝効果は絶大だった。
 幸之助本が市場経済に突き進む中国人の手本だった。松下経営陣に中国政府は破格の待遇を与えてきた。比例して政治集団の松下政経塾も。外交学会を手始めに中国社会科学院にも。あっぱれな手口である。これぞ敵を欺く孫子の兵法なのか。

 筆者は彼らの政治思想に懸念を抱いて10年以上たつ。改憲軍拡派という正体に気付いたからである。自民党の反中派で知られた青嵐会を連想したからでもある。少なくとも平和・軍縮派ではない。国民に奉仕するリベラル派ではないということも。
<両国とも知恵を出せ> 中国の学者は誰ひとり聞き入れなかった。松下財閥の戦略に多かれ少なかれ引っかかっていたのであろう。陸さんの背景説明で理解できた。やがて陸さんの政治感覚に鋭さが蘇ってきた。
 「政経塾の民族主義・国家主義は危険である。そういえば一部の報道で彼らが憲法9条を改正しようとしていると知った。危ない。自民党右翼と同じではないか」
 「いま両国の交流ルートは狭くなっているのが心配だ。唐家センはまだ活躍しているが。私は活動を止めてもう6年ほどになる。日本への留学生はアルバイトが忙しくて本当の日本を知らない。お互い知恵を出し合って、なんとかこの事態を乗り切る必要がある」

 「己を知り相手を知れば100戦危うからず」という。中国はこの故事に気付いたようである。外交学院の4年卒業生が政経塾論文をまとめて、晴れて院生になった。筆者の警鐘に応じてくれた学生の存在に感謝したい。
 健全な民族主義を否定してはならない。偏狭な民族主義と国家主義に権力をゆだねてはならない。官財閥主導の政経塾・ネオコン政権は、民衆の味方ではない。アジア諸国民にとってみても。
2010年11月17日11時10分記

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2010年11月23日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(3)


<中国社会科学院日本研究所> 北京入り2日目の11月2日、中国政府の頭脳集団で知られる社会科学院の日本研究所を訪ねた。思えば、こことの接点は20年近く前になる。宇都宮邸の観桜会である。平和軍縮派の巨頭で知られた宇都宮徳馬さんが、神奈川県大和市の自宅に親しい政治家・新聞記者などを招いた席である。東京の中国大使館の館員の多くも招待していた。そこで知り合った趙さんが北京に戻ると、この日本研究所で勤務したからである。


 観桜会には三木武夫、鈴木善幸、河野洋平、土井たか子ら平和主義・リベラル派が姿を見せていた。大使館からはバスで大使以下の館員が大挙して押しかけた。この時である。厚木の米軍基地から飛来した戦闘機の轟音に仰天させられた。今も続いているのであろうか。ここにいる善良な市民の全てが平和主義派になって当然だろうと気付かされた。

 軍閥が支配したころの重厚な建造物の一角に日本研究所があった。北京大学留学中の息子・春樹に案内させて趙さんの事務所を訪ねたのが最初だった。当時はべら棒に安かったタクシーを利用した。その後に、何度か研究所主催のシンポジウムに参加する機会に恵まれた。
 前任者の所長時代は、北京滞在のおりに時間を見つけて交流してきた、との経緯があるが、ここのところその機会が少なかった。久しぶりの訪問となった。

 日本研究所は立派に改装されていた。便所だけではない。会議室や事務所も申し分のないものだった。Q字型のテーブルには一人ひとりマイクが備えられていた。従来のように声をからす必要などなかった。
 北京五輪を機会に道路・建造物の装いを一新させた北京である。北京を知らない日本人は少なくなったはずだが、それでもこうした研究機関の内部までもが衣替えしたことには気付かないだろう。
<バスで会場へ> 日本研究所に行くのには地下鉄が便利であることが判明したのだが、苑教授が案内役に指名してくれた学生の可君は、パソコンで交通事情を調べてくれていた。大学近くのバスに乗れば一直線だという。切符は1元程度である。日本円で15円と安い。カード利用だと、もっと安いらしい。
 ともかく公共交通が安いのが中国のすばらしさだ。日本のJRのような高額料金に慣らされている人間には、なんともうれしい。しばらくすると、可君が席を確保して椅子に座らせてくれた。時間は午前9時前である。渋滞時間が過ぎたとはいえ、北京の交通事情はよくない。しかし、バスは優先して走れるものだからそんなにいらつくことはない。タクシーではないのだから。
 もう記憶から遠ざかっているのだが、過去の日中間のきしみの時、日本語を使う中国人はバスなどで日本語を話すことを止めたほどだった。それこそ「反日」の雰囲気が市民の間に立ちこめていたからである。
 今回はどうか。全くその気配を感じることはなかった。「反日」報道は虚報なのである。筆者は大声で可君とおしゃべりした。彼は自身の研究課題について質問してきた。かれこれ4、50分のバス旅行に問題などなかった。
<日本の権力構造の正体を講演> 日本人の多くも日本の権力構造を知らない。いわんや外国人はなおさらであろう。鳩山内閣と民主党代表選挙での小沢一郎発言でも、一般国民はわかっていない。マスコミが報道しないからである。
 講演で筆者は中国で初めて官僚支配の日本・官閥という言葉を紹介した。どの程度理解してもらえたものか不明だが、日本の権力構造を理解しない限り、日本の実像をつかむことは不可能なのだ。そのことに警鐘を鳴らした。

 戦前の権力というと、軍閥と財閥であるとされた。日本軍国主義は軍財閥によるものと理解されてきた。占領軍は従って、財閥と軍閥を解体した。しかし、実際には官閥こそが権力行使の主体だった。官僚である。官僚制度・官僚機構こそが権力構造の主役なのである。
 日本の官僚は明治時代になって確立した。そこへと政商が群がった。政商は権力を掌握する官僚と一体化して財閥へと変身してゆく。この財閥と官閥の特徴というと、それは天皇制ともう一つが超大国との同盟である。後者は、戦前は大英帝国である。その力で日清・日露の大戦に勝利した。いまNHKが、国民を洗脳しようと躍起になっている竜馬や「坂の上」ではない。
 第二次世界大戦では、ヒトラーのドイツと同盟を結んで敗北した。誤れる戦略は官閥によるものである。朝鮮半島や大陸侵略は財閥の意向を官閥が強行したものと理解すべきだろう。日本軍国主義の震源地は官閥と財閥である。
 敗戦で軍閥と財閥は解体されたが、官閥はそっくり生き残った。ここの点が、官閥も成敗したドイツと日本の落差なのだ。怪しげな右翼主義の震源地である天皇制が存続した理由なのである。
<「橋のない川」を読め> 日本の諸悪の根源を天皇制と教えてくれた人物は、宇都宮さんである。目から鱗が落ちた瞬間だった。皇国史観から離脱できない日本も官閥が生き残ることで、現在も尾を引く。「日本は天皇を中心とする神の国」との妄言を吐いた総理大臣は、小泉内閣の前の森喜朗であった。
 天皇制を勉強しないと日本は見えてこないのだ。その格好の教材を友人弁護士が教えてくれた。「橋のない川」である。作者は住井すえさん。92歳で第7巻をまとめた。日本文学の最高峰といっていいだろう。中国の魯迅に匹敵する。女流文学者の慧眼にはあきれるばかりだ。表は差別問題を取り上げているが、裏は天皇制を裸にして批判した最高傑作である。
 官閥や財閥が嫌う作品に違いないが、この「橋のない川」こそが、民衆から生まれた見事な政治思想文学といっていい。これを一部呼んだ人物は、今回の旅の中で一人いた。ほとんどの日本研究者は知らなかった。
 日本文学を研究している田さんには、後に電話で伝えた。翻訳を薦めた。
<93回目の訪中> 今回の講演内容は、初めてのことである。何人の研究者が理解できたか。しかし、ここがわからないと、鳩山内閣が打ち出した官僚主導の政治から民意・政治主導の政治の中身もわからない。鳩山の日米対等論・アジア重視・東アジア共同体構想も。また、小沢と鳩山が検察とマスコミに叩き潰された理由もわからない。
 この小沢―鳩山体制を内側から崩壊させた松下政経塾の正体も分析不能である。菅内閣で松下財閥率いる政経塾が実権を掌握していることも理解できない。
財閥が主導するTPP参加に意欲を示す菅官内閣、財閥減税と大衆増税を目指す菅官路線も。

 会場には40人近い研究者が話を聞いてくれた。若手の研究員も多数いたので、筆者が何故に中国を訪問しているのか、という理由も明かすことにした。誤解を生じさせないためだ。ジャーナリストとして93回目の訪中は筆者のみである。あと7回だ。出来るだろうか。格安航空機が飛んでくれることを祈るばかりだ。
 遠因は大平正芳担当記者になったこと、宇都宮さんと生涯交流したことである。目標は100回。中国国家旅遊局の張西龍君に「生きている間に中国に100回来てください」といわれたこと、ただそれだけのことである。理由のない理由なのだ。「100回目に北京でお祝いの会を開く」というのだが、現在彼とは連絡がない。
 すると、どうだろう。新任の李所長が「私が餃子パーティーを開く」とうれしい約束をしてくれた。
<意外な出会い> 東北大学で経済を勉強したり、学生に教えたりしているというベテラン研究者の張さんは「日本を理解すればするほど日本がわからなくなる」「日本は民主主義の国というけれど、本当に民主主義の国なのか」と疑問を呈した。
 彼ら日本通からすると、全ての日本マスコミが中国の「反日デモ」と連日、繰り返し報道することに対して「おかしい」「不思議だ」と感じているのである。集団主義と民主主義は相いれないのだから。

 この場で司会をしてくれた副所長の王君が「以前会いました」と声をかけてくれた。そういわれると、確かにどこかで会ったような気がする。しかし、一体誰だろう?名刺を交換して、ようやく思い出した。東京で若い中国の新聞記者数人と数回勉強会をしていたことがある。北京に戻っても何度か交流していた。彼はそのメンバーの一人だった。温和で性格がいいのが、彼の持ち味だ。
 記憶が戻ると、改めて人生の奇縁を感じざるを得ない。かつての日本での新聞記者訓練が、今花開いているのである。筆者の話に耳を傾けてくれたに違いない。
 李―王正副所長のいる間に、また来る機会が訪れるだろう。他にも親切な日本通がいるのだから。
 昼食弁当を食べながら質問を受けた。弁当を食べながらの質問会は、ここの以前からのもので変わりなかった。ただし、弁当の容器や中身は一段と上等になっていた。
 
 帰路は可君にお願いして地下鉄を利用した。バスに乗り、次いで地下鉄に乗る。これぞ新聞記者魂がまだ温存されている証拠である。午後1時過ぎの地下鉄は、ほぼ満席状態だった。もちろん、日本マスコミが喧伝する「反日」の雰囲気を感じることはなかった。
 「そこは北京だからだ」と反論する向きもあるだろう。しかし、「反日」が事実であれば、首都にもその片鱗を感じることがあるはずである。反前原・反菅内閣・反政経塾は存在しても日本人いじめは存在しない。誰しもが安全に旅をすることが出来るのである。
2010年11月14日8時45分記

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2010年11月14日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(2)

<ひやり快速電車>

 帰国当日の11月12日に東京にも大陸からの黄砂が襲来しているとの報道があった。前日の天津では、確かに強風で地下鉄工事現場などの砂塵が勢いよく舞い上がって、昼間でも灰色がかっていた。1日かけて日本列島に届いたのであろう。大陸と列島は気象面で直接つながっているのだ。


 いやなニュースも国会から届いていた。国会議員歳費1割削減を打ち出した民主党の岡田克也幹事長方針に対して、なんと同党議員が大反対して押しつぶしてしまったというのである。
 日本の財政事情は国会議員報酬と議員定数の半減を求めている。1割削減でお茶を濁すことなど公人に許されることではない。それでいて、たったの1割削減に民主党はNOというのである。政権交代した同党も、これでは自民党と同じ金権議員ばかりだった証拠である。小沢や鳩山を批判できようはずもない。野党議員全ても、である。大反対したという森とかいう女性議員も、金権の典型政治屋といえるだろう。有権者はより賢くならねばならない。
 日本の前途は、政権交代してもお先真っ暗ということになる。現在の日本政治は実質、無政府状態といえよう。11月13日の横浜でのAPEC首脳会議、日米首脳会談などで菅直人は、課題の多いTPP参加を事実上表明、新たな火種を持ち込んだ。財官閥に操られた自民党並みかそれ以上の政権を裏付けた格好である。財閥と官閥の政治路線は、民衆軽視のより戦前回帰を印象付ける。

 北京に旅立った11月1日もそうだった。品川駅に到着する成田空港駅行きの快速電車が相当遅れているではないか。あわてた。幸い、1時間遅れの電車に乗ることが出来て助かったのだが、パキスタン航空は出発2時間前、出来れば2・5時間前の到着を乗客に要請しているため、大いにあわててしまった。
 日本の鉄道は時間通りが人気の秘密となって久しい。人々が鉄道の時間を厳守すれば、約束の時間に着くことが出来るというルールが壊れているのである。原因は人生をあきらめた市民の飛び込み自殺である。これが蔓延している社会に変質している。以前の日本ではない。
 バブル崩壊と20年以上の借金財政によって年金や福祉などが崩れてきている。格差社会の隅に追いやられた市民は、生きる希望を失っている。精神が病み、健康に生きられなくなっている。中曽根バブルに遠因がある。中曽根は、世界平和研究所などという謀略研究機関を主宰できる立場にはないのである。
 菅内閣がネオコン政権よろしく尖閣諸島海域での中国漁船拿捕と船長逮捕という強硬手段による領有権問題を表面化させたことで、この日、ロシア大統領のメドベージェフが北方領土を訪問した。隣国とのトラブルは決まって日本がマッチを吸う。右翼化を物語っている。

<重い役目> 

 今回の中国訪問には、トランクに重い荷物が詰まっていた。1年前の北京は大雪だった。寒くて震え上がった。しっかりと冬支度した分、荷物が膨らんだ。外交学院日本研究所に10数冊拙著を献本する必要もあった。本はかなり重いものである。もう一つ大事な土産も用意した。
 粉ミルクである。明治粉ミルクである。幼児向けの粉ミルクが、今の中国で大人気と知ったからである。粉ミルクの知識などない。妻もわからない。若い子育ての母親に聞いて確かめ、それを4缶用意しての旅立ちだから、荷物が重くなってしまったのだ。歩いて10分足らずの距離を車を利用した。
 心配は北京空港の外に出るまで続いた。麻薬犬がミルクと麻薬を勘違いして缶を開けられたら、全ておしまいである。犬の中にもいろいろいるだろうから、という素人の不安である。結果はうまくいった。ほっとした。見事に目的を達成したのである。これで数カ月、安心して成長する幼児がいると思えば、少しばかりいいことをした気分である。
 そういえば、成田空港の免税品店にも明治粉ミルクが積まれていた。いまや人気の日本商品なのだ。この会社の株式を知らないが、恐らく中国人によって高くなっているだろう。

<パキスタン青年>

 パキスタン航空機は日本人と中国人、それにパキスタン人がほぼ3分の1を占めていた。以前のように団体の観光客は見られなかった。隣席のパキスタン青年がしきりに声をかけてきた。日本滞在8年という34歳のシャヒド・マムード君は、日本で夫を亡くしたフィリピン人女性と結婚、家も建てたと話してくれた。
 父親の病に駆け付ける途中とのことだった。そのせいか機内でもイスラム教の礼拝を繰り返した。敬虔なイスラム教徒だった。だから腐敗そのものの祖国への愛着はなかった。逆に「日本はすばらしい」と連発するほどで、穴があったらもぐりたかったほどである。
 「イスラム教を守らない指導者と国民。みんな自分のことしか考えないパキスタンに期待するものは何もない」と決めつけた。「祖国で仕事を始めようとしても騙されるだけだ」とも吐き捨てた。その点で「中国はいい道に入っている。これからよくなる」と語った。パキスタン航空について「今は国営。民営化しないと駄目だ」とも言っていた。彼は群馬県北群馬郡の住人だった。

<タン麺で歓迎>

 北京空港には外交学院の学生2人が出迎えてきてくれていた。彼らは出国手続きを終えて出迎え出口に出てゆくと、学生の方から声をかけてくれた。昨年講義をしていた学生だからである。ありがたいことだ。大学が車を提供してくれていた。前回もそうだったが、多くの学生は巨大過ぎる北京空港が初めてである。勉強が忙しくて空港に足を延ばす余裕などない学生たちなのである。

 学校に着くと、そこに筆者を呼んでくれた日本研究センター所長の苑崇利教授が宿舎の国際交流センター入口で待っていてくれた。荷物を下ろすと、近くのおいしいタン麺の店に案内してくれた。

 今回の訪問は夏に中部大学に滞在していた苑さんと東京で会ったさい、筆者から「1年ぶりの北京訪問をしたいものだ」と希望を述べたことが、いうなればきっかけとなった。
 今年は2度も上海を訪問した。万博にも行くことが出来た。拙著「台湾ロビー」(データハウス)を翻訳した上海国際問題研究所の呉寄南さんが、わざわざ万博入場券を郵送してくれたからである。「無駄にしては失礼なので必死の思いで訪問した」のだが、同じく北京にも「行きたい」と思い詰めていた。時間の余裕も出来たからである。
 日本にいるだけで息がつまりそうな日本を脱出、自由な気分にさせてくれる第二の故郷のような中国友好の旅は、筆者の精神を蘇らせてくれるからである。
 11月になれば航空券も安くなるだろう、との計算も働いた。したがって、今回は余裕のある北京訪問計画となった。あらかじめ他の友人にもメールで声をかけることが出来た。信頼できる苑さんが間を取り持ってくれた。中国政府の頭脳機関の中国社会科学院日本研究所や中日関係史学会との交流も予定に入った。
 むろん、外交学院では学生らへの講義や討論座談会も計画された。楽しい予定は、それこそ久方ぶりの天津訪問も具体化、追加することが出来た。
 菅官内閣の対中緊張外交の表面化も、筆者の旅に味付けしてくれた。
2010年11月13日13時40分

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2010年11月13日

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(1)

<反日は虚報> 今回、93回目の訪中を敢行することが出来た。支援してくれた友人らに感謝しなければなるまい。北京では多くの日本研究者らと交流する機会に恵まれた。筆者が「親類と親しい友人に対して、久しぶりに北京に行くことになった」と声を掛けると、期せずして「大丈夫か」という反応があったことを、あえて講演会の冒頭で紹介すると、会場から驚きの声が上がった。原因は日本マスコミによる「反日デモ」報道であることを理解させるためだった。それは虚報だからである。

 マスコミの「反日」報道は、今回ばかりではない。過去にも何度もあったが、今回は格別の部類に入るだろう。虚報ゆえに筆者が12日間滞在していて、中国人に意地悪されることも、危険な目に遭うことは皆無だった。現地で報道している記者らも被害に遭ってはいない。
 「反日」キャンペーンの背景は何か、に中国人研究者の関心が集まった。ためにする報道は、善良な日本人を「反中派」に仕立て上げるものである。「なぜ、そんなことをするのか」「目的は何か」に彼らは興味を抱いた。
 一部の学生など若者の怒りは、彼らの解説によると「反菅内閣」「反前原」「反松下政経塾」ということなのだ。あるいは日本政府部内の好戦的な軍国主義派への反発というのである。
 断言できることは中国に「反日」はないといっていい。考えてみるがいい。中国には13億とも14億とも言われる人民が生活している。さまざまな人たちがいる。元気のいい若者は、携帯電話という便利な情報伝達手段を用いて自らの意思を表明しようとする。これは健全なことである。
 初めて、友好国のはずの日本政府に中国漁船が拿捕され、船長が逮捕されたものだから、これを強行した前原国交大臣(当時)に反発する青年がいるのは当然だろう。それをもって「反日」と決めつける報道は正しくない。「反前原」「反政経塾」だが、断じて反日ではない。日本人が暴行を受けるという事態は全く想定できない。
 中国の人民は決して「反日」ではない。日本の技術やアニメ・マンガの支持者は多い。天津では、リコール三昧のトヨタ車の人気に陰りは全くなかった。「アメリカの策略に引っ掛かったのだ」と弁護している。虚報に徹する日本マスコミにこそ問題があるのである。
 日本政府やマスコミが嫌がらせをしなければ、中国からの観光客が減少することなどないだろう。日本からもどんどん中国観光に行くべきだろう。北京に行ったら、ついでに天津に足を延ばしたらいい。東京に匹敵する近大都市に多くの日本人は驚くだろう。
 隣人と友好的に付き合うことが、人間として断じて正しい。改めて確認しようではないか。
<パキスタン航空利用はチャンス> 中国に足を向けると、必ず日中友好に力を尽くした宇都宮徳馬さん、そして国交正常化を実現した大平正芳さんらのことを思い出す。政治決断した最高責任者の田中角栄さんのことも。それは帰国する今日の機内でも頭をよぎった。

 帰国する2010年11月12日は、午前5時30分少し前に目が覚めた。北京の外交官養成大学で知られる外交学院の国際交流センター920室である。茶を飲みながら急いで洗顔して洋服に着替えた。
 外は真っ暗だ。テレビをつけると、NHKが朝のニュースを流していた。天気予報は「21度にもなる」というので、股引(ももひき)を脱ぐかどうか迷ってしまった。しかし、北京の朝は5度以下のはずである。
 そのままにして上からズボンをはいた。その代わりセーターは着ないことにした。5時50分ごろ1階ロビーに出ると、見送りしてくれる陶君(4年生)が学校の運転手と待ち構えてくれていた。彼は1年間、中部大学に留学している。来年は大学院に入る。また会えるだろう。苑崇利教授の配慮である。1人だとタクシーをつかまえるのに大変である。それが不要というのが、なんともうれしかった。
 
 まだ暗い6時である。渋滞無縁の時間帯だ。巨大な北京空港まで30分で着いてしまった。順調である。今回はパキスタン航空を利用したのだが、理由は一番安い料金だからである。
 かつては、日本人留学生や貧しかったころの中国人がよく使用する飛行機として定評があった。しかし、このところのビジネスマンなど日本と北京を往来する客は増えてきている。それゆえだろうか、飛行機代は予想した以上に下がらない。普段はアメリカ機を利用するのだが、今回は過去に数回乗ったパキスタン航空を利用するしかなかった。というと、かの航空機にはなはだ失礼である。
 機内サービスはまずまずだ。アルコールがないのを除けば、である。国営の飛行機のせいで、昔の中国機のように女性乗務員の表情は硬いままだ。好きな音楽も無理である。屈強な男性乗務員もいる。
 喜んでいいのかどうか、乗客が多くない。豊かになった中国人が乗らなくなったせいだろう。いっそのこと民営化して格安航空機に変身させてはどうか。そうすれば人気が出るだろう。ともあれパキスタン航空に乗ることを、大いに薦めたい。
<北京空港はパンク状態?> パキスタン航空の難点の一つは予約確認を必要としていることである。北京に入った後で、北京のパキスタン航空事務所に電話を入れなければならないのだが、これがいつも担当者不在であってつながらない、あるいは電話中などで予約確認に手間暇がかかる。
 飛行時間の変更も当たり前らしい。
 それよりも、広大な北京空港も時間帯によってはパンク状態なのである。成長経済を反映してか、飛行機の離陸にかなり時間がかかる。人気空港なのであろうが、離陸に1時間以上待たされてしまった。
<天国から地獄へ> 過剰な表現を用いると、中国の滞在は実に愉快なものだった。夢のような時間を過ごすことが出来た。だが、日本に戻り、成田から快速電車に乗ると、右翼的な雑誌や週刊誌の広告を見せつけられると、うんざりで、ある。夕刻のテレビニュースは中国漁船衝突ビデオの流出騒動である。
 官僚政治の特質の一つは過剰とも言える秘密主義である。本来は、これを公開させた関係者の勇気をたたえるのが筋というものであろう。何が機密であろうか。国益に反しているであろうか。秘密にこそ問題があるのである。野党もマスコミも狂っている。
 この間、オバマはインドーインドネシアー韓国と中国封じの戦略外交を演じ、それに歩調を合わせる、それこそ悪しき菅官内閣ではないか。胡錦濤は、温家宝のギリシャに次いで、先日はポルトガルを訪問して救済の手を差し伸べている。イギリス首相のキャメロンが売り込むロールスロイス・エンジンの購入を決めた。
 政経塾内閣はというと、財官閥主導よろしくTPPに突進、農家・農業を切り捨てようとしている。加えて、財閥法人税を減税するといい、大衆課税に躍起となっている。民衆に敵対しているではないか。
 こんな情けない日本政治を目の前で見ないだけでも幸せというものだろう。「北京・天津友好の旅日記」を記録しようと思う。忘れないうちに。
2010年11月12日20時10分記

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2010年11月10日

国際ペンのシンポ「短歌とTANKA」傍聴記:長沼節夫(ジャーナリスト)

 短歌をTANKAと呼んで欧米でファンが増えているという。
 夏の終わりに日本ペンクラブ会長の作家阿刀田高・浅田次郎らが記者会見して、秋に国際ペン東京大会を開くと告げた。その中にシンポジウム「短歌とTANKA」というのがあったので早速、傍聴取材を申し込んだ。そして9月28日、大雨の中を新宿の京王プラザホテルに急いだ。受付でくれたプログラムによれば、シンポはまず米国人翻訳家・実作者(歌人)の女性ジェーン・ライチホールド、次いで歌人・評論家の篠弘がそれぞれ30分ほど講演し、最後に元「毎日新聞」記者で「詩歌の森」を連載している元編集委員(現嘱託)酒井佐忠の司会でご両人が対談するという段取りだ。

まずライチホールド講演。オハイオやカリフォルニアの大学で美術・文学を学び、日本古典詩の紹介に当たり、短歌集5冊を翻訳。またご自身、短歌雑誌も発行しているという。「日本からの贈り物・TANKA」と題し、短歌への熱い思いを要旨次のように語った。

「日本からの贈り物・TANKA」と題し、短歌への熱い思いを要旨次のように語った。
皆さんは短歌という詩が日本から現代世界へのどれだけ素晴らしい贈り物であるか、気付いていないかもしれない。千三百年の歴史を持つこの文学が変わることなく受け継がれ教えられ、天皇から庶民に至るまで詠まれ歌集が生まれてきたことは驚異だ。日本以外にこういう現象はない。能の中でも対話は短歌形式で行なわれる。短歌も能もその中で一つの魂がもう一つの魂と対話している。西欧の詩歌では「海がワインのようだ」といった直喩しかないが、短歌には暗喩があり、一層表現を豊かにしている。それは自然観の違いかもしれない。西欧では自然が克服すべき対象だが、日本人は自然と対決しない。むしろ共存する。西洋人は闇を恐れるが、日本人は月光に親しむ。欧米の文学では自分はこうしたのだ、お前もそうすべきだとこぶしを振り上げているが、短歌にはこうした上からの目線がなく愛情が溢れている。確かに言葉の壁はあるので、日本の歌人にとって西洋人の短歌理解はもどかしく、一緒に居られては困る迷惑な恋人のように思われるかもしれないが、我々は短歌にもっと接したい。作ることは無理と言う人でも理解はできる。欧米の人間が短歌作品に接する機会は、インターネットの出現で飛躍的に増えたがもっともっと発信してほしい。出版社も見つけてほしい。短歌コンクールには外国語部門も設けてほしい。受賞作品を見て成程、評価の高い短歌と言うのはこういうものかと分かって来るからだ。この「聖なる文学」を、洋の東西を越えて我々も一緒に後世に伝えて行きたい。

続いて立った篠は「女性による短歌の復興」と題して、戦前の日本では女性は家を守る忍従の世界にあり、病気との苦闘、寂寥感、貧困が短歌の3大テーマだった。戦前の短歌は今日、与謝野晶子が歴史に残る程度だ。戦後は環境が一変した。1949年「女人短歌」結成、51年釈超空「女人の歌を閉塞したもの」、54年中城ふみ子「乳房喪失」、71年馬場あき子「女うたのゆくえ」など、時代を代表する事件や論文・歌集が出たなどと述べ、女性短歌の発展史を概観した。その上で篠はライチホールドが1999年に英訳・出版した馬場あき子作品、次いで04年に出した中城ふみ子作品から各2首を引いて、原作短歌とその英訳とを「20世紀短歌の典型」として2回ずつ朗々と読み上げた。会場で配られたプリントによれば、ライチホールドはいずれも原作の1首を英語の5行詩として訳出している。

馬場あき子
・ 植えざれば耕さざれば生まざれば見つくすのみの命もつなり
I don't plant
as I do not plow
nor have a baby
only by seeing everything
do I garner my life

・ さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり
cherry blossoms
how many springs by passing
have grown old?
in a body of flowing water
such a sound echoes!

中城ふみ子
・ 音高く夜空に花火打ち開きわれは隈なく奪はれてゐる
overhead a sound
fireworks in the night sky
shoot up and open
everywhere I
can be taken

・ 失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
having lost
the hill has a resemblance
to my breasts
even in winter dead
flowers shall adorn it
(以上 川村ハツエ、ジェーン・ライチホールド共訳)

篠は「奪われているというシーンを、I can be takenと訳出したのはすばらしい」「身に水流の音響くという日本語をsuch a sound choesと訳された。生身で感じ肉声を発する感じが巧みに訳されていて的確だ」とライチホールド訳を絶賛した。傍聴者の筆者には、サウンドという単語が、「響いている」という意味と、健全かつ健康なという意味を兼ねた「掛詞(かけことば)」にも聞こえたのであった。

篠は、「中城は1954年、第1回短歌研究新人賞を受賞し、その半年後31歳で死んだが、中城の播いた種は安永蕗子、馬場あき子に至るまで受け継がれた」と述べて、講演を終えた。
さてシンポジウムは10分間の休憩時間を置いて始まり、対談ないし鼎談の形になった。
司会 短歌翻訳を始めたきっかけは。
ライチホールド 初め俳句と短歌を英語で同時に学んだが、短歌を読んでも何かしっくりしなかった。やがて短歌英訳をしていた川村ハツエと出会い、教えて貰った。しっくりしなかったのは英訳が熟していなかったからのようだ。その後、ハツエが亡くなってしまいとても残念だ。
篠 ジェーンさんは英語で実作もしており、ハツエの夫が和訳している。歌集から2首紹介させてもらう。

・度の強き新めがね掛け目を閉じてはっきりと見る夢の場面を
・健やかな日曜の朝庭園に遠くの海と淑女が来ます

「淑女」は原文で、gracious woman で、これが効いている。ところであなたが実作するに当たって短歌と俳句の違いは何か。
 ライチホールド 何かに出会った時、これは俳句的だ、これは短歌的だと思う。そして3行詩の俳句にしたり、5行詩の短歌にしたりしてゆく。
 司会 どうやら米国では3行詩を俳句、5行詩を短歌と読んでいるようだ。
 篠 しかし短歌は「調べ」―これを斉藤茂吉はリズムと呼んだが―も大事なのでせいぜい2~3行までがいい。短歌には言葉で表現された以外に出てくる余情といったものも大事だが、5行にも分けると調べや余情が出にくい。
 ライチホールド 短歌の作り方を西洋人は知らない。言葉のつながりが違うから。
 司会 短歌翻訳のやり方は。
 ライチホールド まず全体を捉える。次に出来るだけ忠実に訳語を作り、内なる世界を5行に再構築してゆく。
 篠 5行詩で十分だがその場合、作者は本当はこういう心を詠んでいるんだという詩的な説明を加えるといいと思う。
 文化と言葉の壁があり、短歌とTANKAの間に流れる川は深く、流れは速い。しかしそこに橋を架けようという努力は尊い。その作業をこつこつと続けてきたライチホールドさんたちに心から敬意を表する。(文中敬称略)
(注)要旨を歌誌「ポトナム」12月号に掲載。

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