'."\n" ?> special edition:金曜インタビュー 奄美サンシン・島唄の栄篤志さん:北口学
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2009年11月20日

金曜インタビュー 奄美サンシン・島唄の栄篤志さん:北口学

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大阪浪速区『あとりえ西濱』で静かに流れた「奄美サンシン・島唄 栄篤志コンサート」はしっとりとした旋律、感動的な歌声で、深い絆で長年に渡って培って来た集う仲間たちの空間を満たしていました。「ガジュマルの会」創設の仲間玉城さんとのデュエットも深い感動。「奄美の島唄は唄う人と聞く人に分かれるのではなく、みんなで歌いみんなで聴いて楽しむものです」のうたい文句通りのコンサートでした。以下栄さんの話。


栄篤志さん 奄美の圧政を歌った唄ですけど、元々奄美群島は与論から喜界島までの群島、それぞれ島は独立した世界でした。貧富の差も大きくなかった。周辺を収奪していわゆる豪族が生まれ琉球王朝が成立するわけで、王国ですね。八重山などにまでその勢力を広げるわけです。2、3度、琉球が奄美に来たらしいのです。で、奄美は「わかりましたと(笑)」。琉球の時は年貢なども取られたけれどもさほどでもなかった。薩摩が来た400年前、ちょうど今年が400年にあたるわけですが、だんだん締め付けがキツくなり年貢の収奪などで餓死者が出た、圧政と収奪に対して島民たちの一揆なども起こっていたわけです。島民の抵抗運動ですよね。鎌持ったり鍬もったり。打ち首になったり。そのような人々が歌い継いで来た唄です。「こんなつらい世間、生きていてなんになる、朝に夕に血の涙でそでを濡らし、こんなに働いてなんになる、どうせ薩摩の」。奄美から16歳で出て来てもう本土は50年になるんですが、まだ外国にいるような気分(笑)。小学校、中学校のころは「日本語教育」、「島の言葉は野蛮な言葉、奄美は野蛮だと」と植え付けられ、日本語の先生は鹿児島から来た先生。こっちに来るまでそれが正しい標準語だと思って、来てみてびっくり。奄美は沖縄とヤマトの狭間で、もうひとつ屈折したものがありました。----写真は演奏する栄篤志さん(写真中央奥
(静かに滔々と語られる奄美の歴史と魂、島唄の合間に紡ぎ出される栄さんの語りは深く感動的、優しさと闘い続けた栄さんの人生の重厚さ繰り返しアンコールされた玉城さんとのジョイントをはじめ多くの飛び入り参加で素敵な一夜は終世忘れる事の出来ない時となりました。『あとりえ西濱』は毎月「寄り合い」と称してライブイベントや映画会を企画しています。詳しくは下記、『あとりえ西濱』HPと代表の太田恭治氏ブログをご覧ください)
           あとりえ西濱HP http://nishihama.tabigeinin.com/
            太田氏ブログ   http://nishihama1.exblog.jp/

2009年11月20日 05:57

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