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片山通夫の「取材手帖」

2010年6月 7日

取材手帖「樺太そしてサハリン」:片山通夫

Vol.5「地獄ですよ。あの時代は」
 

 「みんな、こんな島だとは知らなかったのよ。朝鮮で食べることが出来なかったから、日本人の甘い言葉に載せられてきたのよ」
ワーリャはブイコフからの帰り道にこう言った。そしてユジノサハリンスクまでの車の中で彼女は無言だった。

 ブイコフへ行った翌日、私は一人の男とあった。チェ・キヨルと言う人である。17歳のときにこの島につれてこられたという。
「私が逃げたら両親や兄弟が苦しめられますから、従うより仕方なかったんです。1945年2月16日のことです。私は面事務所に集められました。同じ面からは6名だったと思います。全羅北道全体から133名が一緒でした」
  キヨルは樺太に着いて驚いた。あたり一面真っ白の雪で、経験したことのない寒さだったという。「何しろ朝鮮ではこんな冬は知りませんでした。それと食べ物がなくって」
 私がインタビューした人達は一様に「ひもじかった」とつぶやく。彼が樺太に来た1945年と言えば、日本の敗戦色がすでに色濃くなっていた時代だ。2月4日には既にヤルタ会談が開かれていた。また、18日に米軍が硫黄島に上陸、翌3月10日には米軍による東京大空襲で10万人に登る死者を出した。
 キヨルはこうも言った。
「ここに来て五か月も経ってないうちに日本は戦争に負けました。何のために来たのですかね」
 そして祖国には帰れないで半世紀以上をソ連の体制下で過ごしたのだった。
(次週に続く)

2010年6月 7日 11:18

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