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片山通夫の「取材手帖」

2010年6月14日

取材手帖「樺太そしてサハリン」:片山通夫

Vol.6「急速転換」
 1945年8月、つまり、日本の敗戦一年前のことである。敗戦色が濃くなってきた時期、制海権をアメリカに奪われて、樺太から、そして北海道釧路の炭鉱から石炭を内地に運ぶことが出来なくなっていた。当時の小磯内閣は不足する石炭の増産を目的に、樺太西海岸と北海道釧路の炭鉱の閉鎖を閣議決定した。これを「急速転換」という。

 現下急迫セル内地石炭需給状況打開ノ一方策トシテ樺太及釧路ニ於ケル炭鉱ノ徹底的整理ヲ履行シ其ノ保有スル勤労者、資材等ノ急速転換ヲ実施ス (昭和一九年八月閣議)
 「急速転換」はただちに実施されたことは言うまでもない。樺太西海岸に存在する炭鉱は閉鎖された。炭鉱で働く炭鉱夫はそのほとんどが九州・筑豊炭鉱と茨城・常磐炭鉱へ移された。勿論そこに働く朝鮮人9600人余りも同様だった。
 この急速転換に関しては釧路市立博物館の学芸員が研究しているのでこの稿をお読みいただきたい。

樺太の炭鉱で働いていた労働者たちは九州や茨城へ政府の政策によって移ったほぼ一年後、日本は敗戦を迎える。その結果、樺太の南半分はソ連軍によって占領された。家族を樺太に残して「内地」へ来ていた人々は途方に暮れたことは言うまでもない。
家族思いの朝鮮人たちは必死の覚悟で稚内から樺太へ密航した。密航にかかる費用を払えない人たちは泣く泣く稚内の港で諦めたという。無論、密航したのは良いが、途中でソ連兵に逮捕されたり、海の藻屑と消えた人たちもいたはずである。
しかし密航者の正確な記録はない。
(次週に続く)

2010年6月14日 10:51

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