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片山通夫の「取材手帖」

2010年6月28日

取材手帖「樺太そしてサハリン」:片山通夫

Vol.8 戦争の裏にある悲劇

すこし話を戻そう。先週号では戦争終結直後の事件を取り上げた。戦争終結は1945年8月15日。日本はボツタム宣言を受諾した。無条件降伏である。
 
 

しかし樺太では、樺太西海岸や北緯五〇度線以南でもソ連との戦闘はまだ続いていた。財団法人全国樺太連盟発行の『樺太終戦史』によると、全樺太日本軍の武装解除が完了したのは8月28日となっている。
 
 悲劇は先週号で出た、朝鮮人虐殺だけにとどまらなかった。樺太に住む日本人の側にも、目を覆うばかりの悲劇が起こっていた。それは1945年8月20日のこと。樺太真岡へソ連軍が侵攻した。真岡郵便電信局にて連絡業務のため残留していた電話交換手の女性12人のうちの9人が青酸カリなどを用い自決した事件である。世に言う「9人の乙女の悲劇」である。この悲劇に関しては、今も「軍の関与」も取りざたされている。つまり「軍、もしくは郵便局からの指示」で「青酸カリを渡された」という説だ。一方、「彼女たちは(ロシア兵から)身を守るため自発的に自殺」という説もある、いずれにしても「戦争が生んだ悲劇であること」は間違いない。

樺太では「軍服や警察官の制服」などを投げ捨てて、「軍の言葉でいう地方人」つまり一般人に化けてソ連官憲の眼を掠めた人たちも多くいたとか・・。沖縄でも言われていたことだが「軍は国民を守らない」ということなのかもしれない。

(次週に続く)

2010年6月28日 09:37

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