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片山通夫の「取材手帖」

2010年7月19日

取材手帖「樺太そしてサハリン」:片山通夫

Vol.11「疎開」
  ソ連軍の宣戦布告を前に、樺太庁は住民の緊急疎開計画を立案していた。日ソ開戦の1945年8月9日、樺太庁長官は、この計画を軍と協議のうえ、実施することにした。対象は65歳以上と14歳以下の全員、40歳以下の女性ら計16万人。乗船地は大泊、本斗、真岡。15日間で輸送を完了しようと13日、第1船が大泊を出港した。

 その第1船が出て2日目、15日に日本は無条件降伏、樺太からの疎開は混乱を極めたのは言うまでもない。ソ連軍からの攻撃を避けながらかろうじて最後の疎開船が大泊を出航したのが23日、その翌日にはコルサコフ港にソ連の艦船が入港した。結局、目標の約半数にあたる7万6千人が島外への緊急疎開に成功したとみられている。その後の自力脱出者約2万4千人を合わせ、南樺太住民の1/4以下だけが避難できたことになる。
 この数字は日本人だけに限ったもので朝鮮人は含まれていない。ただ、親しくしていた日本人に誘われ、日本人として疎開した朝鮮人もいたことは事実である。(次週に続く)

2010年7月19日 08:14

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