2010年7月26日
取材手帖「樺太そしてサハリン」:片山通夫
Vol.12「日本人の帰還」
ソ連の統治が続くサハリンでは、日本人も朝鮮人も、祖国へ帰る夢を抱きながら毎日を過ごした。
そんな生活を日本人は1年以上続けた。そしてようやく敗戦の翌年・1945年12月、日本人のサハリンからの引き揚げが始まる。出港地はホルムスク。入港地は北海道・函館であった。
帰国に湧き立つ日本人を横目で見ながら、朝鮮人たちも色めきたった。ちょうどその頃、朝鮮人に、身分証明書(所謂国内パスポート)が発行され、パスポートを受け取った人々はこれで帰れると考えたからである。
しかし、一向に朝鮮人に対する帰国の命令は下りなかった。そんな中、多数の「指導的立場にあった朝鮮人」がソ連官憲に逮捕され始るという事件がサハリンのあちこちの町で起こる。ここでいう「指導的立場」とは町内会の役員、協和会の役員などである。
この事件はいまだにはっきりとはしていないが、おそらく「朝鮮人を扇動する危険のある人物」を逮捕したのではなかったかと思う。つまり、ソ連当局は「朝鮮人を返す意志はなかった」のであり、返さないということが明白になった時に暴動などが起こらないように「指導的立場の人物」を隔離したのではなかったか。
いずれにせよ、日本人のほとんどは帰国した。しかし朝鮮人たちのほとんどはサハリンに残されたのである。(次週に続く)
2010年7月26日 13:40
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片山さん、いつも楽しみに拝読しています。
今度一緒にサハリンに行ってきた友人に、
以下のように紹介させていただきました。(^.^)
[朝鮮王朝が「李氏朝鮮」と表記されたり、「我が国」が日本だったり、「満州進出」が注釈なしに出てきたり、問題表現もあります。しかし、在サハリン韓人やサハリンと日本の関係を考える、数少ない良心的な日本語のサイトだと思います。]・・失礼!!
k24