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片山通夫の「取材手帖」

2010年10月25日

取材手帖「樺太そしてサハリン」:片山通夫

Vol.23「ビジネスチャンスがやって来た」 韓国とロシアの国交が樹立するとそれまで「米帝国主義の傀儡政権の地・南朝鮮」はサハリンにとって身近な国になった。同じことが韓国側からも言える。

 国交樹立の頃のロシア、特にサハリンは経済的に困窮の極みだった。停電は日常茶飯事だった。はなはだしい時は火事の時にも「誰が消防車の燃料費を負担するか?」が問題になったという話まで筆者は聞いた。
 火事が起こると、通常消防署に電話する。その電話の先で「燃料費は?」と消防署の係官が聞くというのだ。冗談のようなホントの話である。

 経済的に困窮するとビジネスチャンスが訪れる。韓国から日用雑貨など比較的価格の安いものがごっそりとはいってきた。インスタント・ラーメン、海苔など韓国の食糧も。これを利用して食堂が出来た。いまでは韓国レストランが何件もあるという盛況ぶりである。

衣料品は韓国系サハリン人女性がソウルの東大門市場へ仕入れに頻繁に出かけるようになる。何しろ彼女たちは韓国語が出来る。サハリンで友人たち、知り合いから資金を集めてコンテナいっぱいの商品をサハリンへ運ぶのだ。
 筆者がそのルートを聞いてみた。まず釜山へユジノサハリンスクから飛ぶ。この頃サハリン航空がユジノサハリンスクと釜山に、ウラジオストックと釜山に就航していた。
 釜山から高速バスでソウルへ。東大門市場にある安宿に彼女たちは泊る。そして商品を探し買い集めるのだ。集めた商品を梱包してコンテナを手配して詰め込み、そのままトラックの助手席に荷主として乗り込んで釜山へ。釜山港でロシアの貨物船に積み込み、韓国での仕事はこれで終了。釜山や済州島、慶州などへ観光に出かけてその後帰国するという算段。

 彼女たちは今ユジノサハリンスクで「ブティック」を開いている。いやたくましいサハリンのおばちゃんだ。(次週に続く)

過去の取材手帳「樺太そしてサハリン」はこちら

2010年10月25日 06:56

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