川瀬俊治の「森羅万象」

2011年1月15日

夜間中学教育に一生を捧げた岩井好子さんが死去:川瀬俊治

 夜間中学教育に一生を捧げた天王寺中学教員岩井好子さんが6日午後、入院先の川崎市内の病院で亡くなった。享年85。

 岩井さんは天王寺師範学校を卒業後、1944年から大阪市内の教員になり、天王寺中学が開校された1969年から赴任、定年まで教員をつとめた。この間、大阪市内の夜間中学が他府県から通う生徒の入学制限を打ち出したことから、奈良で自主夜間中学校を近鉄西大寺駅近くの正強高校の校舎を借りて開校。夕食にうどんを食べたことから「うどん学校」と呼ばれた。この自主夜間中学運動はやがて公立化を達成、1978年に奈良市立春日夜間中学として開校した。原動力となったのが岩井さんに他ならない。
この自主夜間中学から公立化へと進む夜間中学増設運動はその後全国に広がりをみせ、奈良県では天理、橿原に公立夜間中学が同じように自主運営から公立化を生んだ。
岩井さんは天王寺夜間中学教員退官後は朝鮮通信使研究を深めた辛基秀さんが運営していた大阪・寺田町の青丘ホールを借りて「麦豆教室」を開講、21年続けた。この「麦豆教室」はその後夜間中学OBで学びたい生徒が通う教室としての形態の先駆け的な役割を果たしたといえ、大阪では守口などで定着化した。岩井さんは夜間中学増設運動でもまたOB夜間中学生の学びの場の設立でも先駆的な役割をしてきた。

最近は体調を崩されていたが、家族が住む川崎市内に転居して治療に専念。昨年11月末、脳血栓で川崎市内の病院に入院して治療を受けていたが、6日夕亡くなられた。著書に『オモニの詩』(筑摩文庫)などがある。

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