2011年1月 8日
全講演録 講演録 私たちはこの世に存在すべきではなかった;ルードウィク・ラーハ(金子マーティン訳)
あけましておめでとうごさいます。今年もよろしくお願いします。
オーストリアの作家ルードウィク・ラーハさんがオーストリア・スィンティ三女性の生活史(一九二三年から二○一○年まで)をまとめ凱風社から金子マーティンさん(日本女子大教授)の翻訳で『私たちはこの世に存在すべきではなかった』(2009年)と題して刊行した。これを記念して昨年10月末に大阪市内を会場に講演した。今回、2011年の念頭にあたり翻訳の金子先生のご好意により全講演の内容を皆さんにお届けします。原稿にして22万字、400字詰め原稿で55枚になる。
2011年1月 7日
明日 「私たちはこの世に存在すべきではなかった」一挙全講演録掲載;川瀬俊治
講演録「私たちはこの世に存在すべきではなかった」(ルードウィク・ラーハさんの話を金子マーティンが訳されました)を6回にわたりお届けしましたが、明日8日に一挙掲載します。
2011年1月 6日
最終回 講演録 私たちはこの世に存在すべきではなかった6;ルードウィク・ラーハ(金子マーティン訳)
ヨーロッパへ移住して五○○年以上が経つ現在、国家による弾圧がはじめてない時代にニコルは暮らしています。オーストリア南部のスロヴェニア人、東部のクロアティア人やハンガリー人となど同じく、オーストリア政府はロマとスィンティもオーストリアの少数民族(「民族集団」)として一九九三年一二月に公認しました。
2011年1月 5日
講演録 私たちはこの世に存在すべきではなかった5;ルードウィク・ラーハ(金子マーティン訳)
スィンティ文化について文章化された史料は、二○世紀末期まで皆無に近い状態でした。スィンティの伝統はもっぱら口述で伝承されました。たいていは夜、みんなで会食しながら一緒に音楽を奏でているときなどに。ギッタの記憶のなかでもそのような瞬間が、もっとも幸せを感じたときだったと記されています。
2011年1月 4日
講演録 私たちはこの世に存在すべきではなかった4;ルードウィク・ラーハ(金子マーティン訳)
スィンティはたいてい教会での結婚式しか挙げませんが、国家はそれを正式な結婚と認めませんでした。ローザ・ケルンデルバッハとアルトゥル・シュネーベルガーの結婚もそうです。この夫婦は二人とも強制収容所で肺病を患いました。生まれたときから肺結核という重荷を背負って、長女のローザ・ギッタが一九四六年に誕生します。彼女の少女期はその病魔に苦しまされ、それ以降も芳しくない健康状態に悩まされています。
2011年1月 3日
講演録 私たちはこの世に存在すべきではなかった3;ルードウィク・ラーハ(金子マーティン訳)
アウシュヴィッツの「ジプシー収容所」、あるいはポーランド・ウッジのユダヤ人ケットー内に設置された「ジプシー収容所」で、ローザ・ケルンデルバッハの親族ほとんど全員が殺害されました。
2011年1月 2日
講演録 私たちはこの世に存在すべきではなかった2;ルードウィク・ラーハ(金子マーティン訳)
ヨーロッパ人の大半はスィンティやロマと実際に接した経験もありませんが、「ジプシー」と聞くと、たいていの人が最初に連想するのは「ニワトリ泥棒」です。ヨーロッパに到着して以来、現在までスィンティやロマがかっぱらったニワトリの数と、ヨーロッパ人に殺されたスィンティやロマの数を対比すれば、それはあまりにも悪趣味なことになるでしょうから遠慮しておきます。
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