'."\n" ?> 伽耶雅人の「奈良の奥山から」:ビーズ (パミールのはてに) vol.21 伽耶雅人
伽耶雅人の「奈良の奥山から」

2010年12月15日

ビーズ (パミールのはてに) vol.21 伽耶雅人

ウズベクとタジクの国境沿いのいたる所にウズベク側の哨所が配置されていた。彼らはタジクからの難民の流入阻止を主目的としていた。タジクへの逆流は(パスポートと米ドルさえあれば)さほど困難ではなかった。
タジク領に入ると、ビーズは出来る限り昼間は動かず、夜間にパミールへの道を辿った。この時、暗視望遠鏡が多いに役立った。
暗い道を暫く進むと、川端に十個ほどの死体が転がっていた。後ろ手に縛られ、腹をえぐられ、首を斬り落とされていた。
ビーズは思わず掌を合わせた。死体は体格からしてロシア人だと見当がついた。ロシア軍の斥候隊だろうか。少人数の一隊が反政府軍の罠に遭ったのだろう。捕らえられ、残酷な仕打ちを受けていた。ビーズは辛かった。自分は反政府軍の自発的な協力者だった。だが、こんな殺し方を正当化できるほど狂ってはいない。
ビーズは「済まない。安らかに眠ってくれ」と語りかけながら、首なしの死体を写し続けていた。山中は寒かった。ビーズは物思いに耽りつつ、独り旅を続けた。
武装イスラムの残忍さや極端な男尊女卑の考え方にはついて行けないが、イスラムにはイスラムなりの存在理由があるのだろうと思った。誰かから聞いたことだが「極端な貧困、病苦、、どん底に喘ぐ者、まさに救いのない者にとってアッラーこそが心の安寧、死後の悦楽を約束してくれる唯一無二の存在だ。アッラーのために命を捧げることができれば至上の幸福」だそうた。少し疑問を感じるが、それは自分が今まで恵まれ過ぎていたせいかもしれない。
そう言えば、以前アンナはイスラムには「喜捨」という言葉があると言っていた。「富める者は貧しき者に施しをする義務を負う。貧者からすれば、富者に施しという善を行わせ、神への道を歩ませてやったことになる。ゆえに貧者が施しを受けることも、即ち善であり美徳である」そうだ。ちょっと分りにくい理屈だが、喜捨の精神は学ぶべきだと思う。
いずれにせよ、異文化に対して外部から無理矢理に強制や矯正を加えようとすれば必ず歪(ひずみ)が生じる。彼らに何かについて働きかけようと思うなら、最低一年間はそこで暮して彼らを知ることから始めるべきだろう、、
彼はあれやこれや考えながら、時々は道に迷いながらも、東のパミールを目指した。
ウズベク=タジクの国境を越えてから一週間ほど経って、ようやく見覚えのある場所に出た。
以前アンナと一緒に北のキルギスからパミールに入った道だった。この道を南下すればパミール高原、アンナの母親の住む村がある。
昼間、ビーズが小高い森の中に隠れていると、人の群れが道路を北上しているのが見えた。キルギスへの難民だ。
見慣れた風景だった。羊、驢馬、子供を連れた者、襤褸袋を担ぐ者、家財一式を曳く者、着ぶくれの中年女、老人、負傷者、総勢40~50人がタジク南部から逃れ出て、北のキルギスに向かっている。彼らとビーズの距離は300~400メートルあった。
ビーズは彼らが無事に逃げ切ることを祈った。だが、祈りは虚しかった。
馬に乗った兵が山の陰からいきなり飛び出し、難民の群れの前後を塞いだ。
その格好からして20人ほどの政府軍の小隊だった。いや、もしかしたら「人民戦線」とかいう強盗集団かもしれない。小隊のボスらしき者が手を挙げた。
ビーズは危険を感じ、ロミオとジュリエットに枚(ばい)をふくませた。
難民の群れは小隊に対し羊のように従順だった。荷物を道路に降ろして整列した。
10数名の兵が銃を構えるなか、難民の持ち物検査、身体検査が始まった。
武器、金品を調べているようだった。ビーズはその光景を写真に収めた。

群れの中から逃げ出す者がいた。ビーズは撮影を動画に切り替えた。パンパンという乾いた音が聞こえて来た。逃げた男は道路脇に転び、そのまま動かなくなった。何もなかったように、検査は続けられた。数分後、めぼしい物は一箇所にまとめられた。
あろうことか、隊長が右手を挙げ、空に円を描くと、兵たちの銃は難民の群れに向けられ、一斉に火を吹いた。青白い煙があたりを覆った。
ロミオとジュリエットは一瞬、慄いて後ずさりした。が、彼らはすぐにおとなしくなった。遠くで行われている人間の殺戮には殆んど関心がないのか、時々、銃声に反応して耳をピクピクさせる程度だった。
だが、死の恐怖を知る人間にとってそれは地獄絵だった。憐れな難民は道路上にばたばたと倒れた。当たりどころが悪く、即死をまぬがれた者は必死で逃れようとする。
悲鳴がビーズの所まで聞こえて来る。ビーズは目を血走らせる。道路上では第二撃、第三撃が続いた。ビーズはそれを撮りまくった。
数秒後、白煙は消え、あたりは静かになった。難民から金品を奪い取った兵たちは羊、驢馬も忘れず連れ去って行った。道路上には死体と襤褸が散乱していた。
兵達が去った後、ビーズは道路に駆け下り、死体を調べた。生存者は一人もいなかった。
表情はさまざまだった。
驚いた顔、表情のない顔、恐怖に引き攣った顔、髪まで血に濡れた顔。子を抱く親、親にしがみつく子、、中には笑い顔もあった。だが、決して嬉しくて笑っているのではない。
血の匂いが鼻を突いた。ビーズは一人一人に自分の無力を詫び、目を閉じてやり、両手を合わせてやった。彼は夜とともに南下を続けた。
本道から脇道に入り、何度か冷たい川を渡った。
直線距離はさほどでもないが、山襞(ひだ)の多い地形では想像を絶するほどの遠距離となる。
南下道路に入ってから三夜を山襞に沿って蛇行し、四日目の朝にようやくアンナの家に着いた。母親、妹と弟が出迎えてくれた。
母親の名はベーラ、妹はリナ、弟はビーデル。
彼らはビーズを見て、喜びとともに、一瞬あせりの色を見せた。
母のベーラがビーズを居間に導き、お茶を出してくれた。居間にはアンナの父親の遺影、その傍にはマニ車の入った木箱が昔のままに置かれていた。
「アンナはどこ?」
「アンナはいない」
ビーズは白鬚の男が息を引取る前に語ってくれたことを包み隠さず話した。
政府軍のトラック部隊が反政府ゲリラの村トプチャクに攻め込んだ。トプチャクは全滅した。政府軍の大佐がアンナに言い寄った。アンナは答える代わりに大佐の顔に唾を吐いた。大佐はアンナを刺し殺した。医薬品を求めて旅に出ていたビーズは後になってアンナの死を知った。
「私はロシア軍のヘリで首都ドシャンベに送られ、日本に帰された。私がここに戻って来たのは、家族にアンナの死を伝えねばならないと思ったからだ。それに、ここにアンナの墓をつくり、形見の品を埋めたい。その傍で医者をしたい。今、ロシア軍や政府軍に仕返しをする気はない。人を殺すのではなく、人を救いたい。私も人を殺した。そして、自分の無分別から多くを死なせた。せめてもの償いに、医者として一人でも多くの人を助けたい」
家族三人ともアンナの死はあまりに突然で、ただ茫然とするだけだった。
妹のリナは黙って部屋を出て行った。それを追うように弟ビーデルも出て行った。
ベーラは柱にすがりついて泣いた。長い時間泣いた。ビーズは黙って座っていた。
まもなくしてベーラは涙をぬぐい、ビーズのお茶をいれ直し、目をつむって木箱の中のマニ車を何度か廻した。マニ車はカラカラと乾いた音を立てた。
「分かったわ。ここから30分ほど歩いた所に、昔ロシア人の医者がいた診療所がある。
今は何もないけど、そこでお医者さんをすればいい。ここには医者がいないから、きっとみんな喜ぶわ。私達も出来るだけお手伝いする。アンナの墓はその近くにつくりましょう。あの子は一番大事なものを、命をかけて守ったのよ。あなたのお蔭であの子は幸せだった。必ずあなたを守ってくれるわ。頑張ってね」
ビーズは黙って頷いた。

2010年12月15日 12:00

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