2010年12月17日
ビーズ (パミールのはてに) vol.22 伽耶雅人
ビーズはベーラの家から出ると、二頭の馬が待つ場所に向かった。
彼は馬の背から食料の入った袋を下ろし、家族への「おみやげ」を手渡し、元診療所に向かった。家族とはアンナの母親ベーラ、アンナの妹リナ、弟ビーデルの三人。ビーズにとって13~14歳の少年ビーデルは弟というより甥っ子という感じだが、その少年がビーズを追いかけて来て、自分も診療所で働きたい。勉強も教えてほしいという。
「ビーデル、君がこの地方の言葉を教えてくれるなら、OKしよう」
「やったあ!僕、しっかり頑張るから。お兄さん、よろしくお願いします!」
ビーズは「お兄さん」と呼ばれて、初めて弟を持つことの感動に胸がじんとした。
診療所の傍にアンナの墓をつくった。河原の丸石を選んだ。
その下にアンナの形見をビニール袋に詰めて埋めた。ビーズが片時も離さなかったアンナの毛髪と黒い眼帯だった。墓石をじっと見つめていたら、そこにアンナの嬉しそうな顔が見えてきた。「ビーズ、あたしの家族をよろしくね」と微笑んでいるようだった。
ビーズは地の果て、パミールの山奥で医療活動を始めた。
山の斜面に横穴を掘り、そこに貴重な医薬品をしまっておいた。住民の平均寿命は56歳、しかもこれは内戦が始まる前の数値だという。現在の平均寿命は分らない。
栄養状態が悪く、子供の死亡率が高い。死ななくてもいい人が多く病で死んでいる。
ビーズ診療所を開くと患者はすぐに集まった。山の悪路を杖つきながらやって来る者もいた。ビーズは外科、内科、循環器、小児科、婦人科、何でも屋の無医村医師となった。日本から持ち込んだ医薬品は新薬に慣れていない人々には効果抜群だった。
患者達はお金を払えなかったが、鶏や食料を運んでくれた。ベーラがその鶏や食料を受け取り、当然のように貧しい人々に分け与えた。配達にはビーズも手伝った。途中、ベーラは夕方の路傍で寒さに震えている老婆に自分の服を脱ぎ与えた。ビーズは「自分も寒かろうに、、これが喜捨の心というものか」と感心した。
弟のビーデルもよく働いた。診療所の仕事を多いに助けてくれた。それに、彼は何事にも興味を持った。すこしでも暇が出来ると、数学、理科、医学関係の質問を矢継ぎ早に出してくる。
リナは最初の印象どおり、はにかみ屋で口数が少なかった。顔立ちも性格も、情熱的な姉のアンナと対称的だった。リナは焼きたてのナン(パン)、プロフ(ピラフ)、それにヨーグルトなどを診療所に運んでくれた。が、ビーズとは顔も会わさず帰ることが多かった。
或る時、ビーズがビーデルに「君は理数系が好きだね。将来、その方向に進みたいのかね」と尋ねた。「いや、理数系も面白いけど、歴史や文学の方が好きだ。黙っていたけど、歴史や文学はお姉さんに教わっている。トルストイの『戦争と平和』も、ショーロホフの『静かなるドン』も持っているよ」という。
「お姉さんとは、あのリナのことか」ビーズには意外だった。
「僕はこの国を良くしたい。僕はこの国を泣く者のいない国にしたい。皆が笑って暮らせる国にするんだ。そのために色々なことを勉強したい」という。ビーズはびっくりした。13~14歳の頃、俺はそんなことを考えただろうか。
ビーデルは手足の長い蚊トンボのような少年だ。山に登って蜂蜜を取るのが大好きだという。「僕だけの秘密の場所だけど、今度、蜂蜜取りに連れてってあげる。その代わり、日本や世界のことを教えてよ。あのね、僕の体には世界中の人の血が流れているんだよ。ペルシャ、チベット、ギリシャ、ロシア、ウイグルやモンゴルまでね。蜂蜜は蜂の巣を煙で燻(いぶ)して取るんだ。ものすごく美味しいよ」
ビーズは「こういう子がこの国を変える。これからの国の歴史を創るのだろう」と思った。
診療所の仕事は概して順調だった。驚くほど遠くからビーズの診療所にやってくる。高い山脈の多い国だ。山向うの里に行くには、山ひだや川筋に沿って数キロ、数十キロも進み、急な峠道に入る。高山では酸素濃度が低いから息が切れる。ゆっくり峠を越えて、ゆっくり谷間に下る。それを何度も繰り返してようやく目的地に到着する。
時々、負傷者が数十人名規模で担ぎ込まれる。そのときは、診療所はてんてこ舞いする。
外科手術、輸血などが必要で、どうしても医薬品、設備の不足に悩まされる。
それに、寝かせる場所や食事の世話まで必要となる。
ビーズにとって最大の関心事の医薬品については、意外なことに食料と同様、患者やその家族が時々持ち込んでくる。陸の孤島に住む者は自衛のために医薬品を備蓄しているようだ。ただ、その殆どがはるか昔に期限切れしており、使い物にはならない。しかし、それでもないよりはマシだった。
その多くは解熱、鎮痛剤で、抗生剤は宝石以上の扱いを受けていた。彼らの備蓄品の中には何やらいかがわしいものも入っていた。万能とされる薬草はまだましなほうで、聖水というわけの分からない濁り水、動物の干乾びた内臓や骨格の一部などが入っていた。おまじないやお札のようなものも幅を利かせていた。そういうわけだから、ビーズの徒手空拳の「指圧療法」は多いに歓迎された。診療所の廊下が当面の病室となった。食事はベーラやリナ、それに村人が色々と世話をしてくれた。
夏も近づく頃にはビーデルは助手として欠かせない存在になっていた。
ビーズのタジク語はなかなか上手にならなかった。「まず発音が難しいし、文法が理解不能、というより文法がない」というのがビーズの言いわけだった。リナは、相変わらず口数は少ないが、少しずつビーズに打ち解けてきた。ビーズの言いわけをくすくす笑いながら聞いていた。
アンナは挑戦的な真っ黒の瞳だったが、リナの瞳は澄んだ青。性格もアンナは激しく能動的だったが、リナははにかみ屋で受動的だった。同じ姉妹で、なぜこうも違うのかと不思議だった。
ビーズはリナに愛馬ジュリエットを贈った。リナは頬を紅潮させると、ジュリエットに飛び乗って駆け出した。かなり遠くからビーズに手を振った。
リナとジュリエットは一体となって夕陽の中に輝いていた。その姿を見て、ビーズはまた意外さを感じた。あのはにかみ屋のリナが颯爽とした「女馬賊」となった。
パミールの辺地で平和な日々が続いた或る日、攻撃ヘリの編隊がやって来た。
5~6機が束になって高原の村を襲った。ロケット弾が放物線の煙を吐いて地上に降って来た。目につく建物や橋などが破壊された。
ビーズの診療所も例外ではなかった。ちょうどリナが食事を運んできてくれた時だった。
雷鳴が遠くから近くに移動してくるように、ロケット弾の落下音が近づいて来た。
「危ない」と思った瞬間、ビーズはリナに飛び掛かり、床に押し倒した。
すぐ近くでヘリから発射されたロケット弾が炸裂した。
あたりに建物やガラスの破片が飛び散った。ビーズの背に大きなキャビネット(薬品棚)が落ちて来た。その上に倒壊した隔壁の一部が乗っているようだった。すごく重い。
診療所の中はゴミだらけ、ホコリだらけとなった。患者たちのうめき声が聞こえる。
キャビネットの下でビーズはもがいたが、身動きが取れなかった。その真下にリナがいる。
彼女は無事だった。目を閉じていた。
上から見下ろすと、それは天使のようにかわいい顔だった。ビーズが「リナ」と呼ぶと、彼女ははっと目を開いた。ビーズは澄んだ青い瞳に吸い込まれそうな錯覚をおぼえた。
彼女の胸の鼓動がビーズの胸にじかに伝わって来る。
「リナ、腕が自由にならない。君の手でこの棚を少し上に押してくれ。そうすれば、私の腕が自由になる。なんとか抜け出すことが出来る」
リナは必死でキャビネットを持ち上げようと努力したが、持ち上がらない。体は汗でびっしょり濡れていた。ビーズはキャビネットの下で無理やり体を反らせていたが、堪え切れず力を抜いた。彼は顔をすこし横に反らせたが、そのとき彼の唇がリナの耳元に触れた。
リナの体に衝撃が走った。「ううっ」とうめき声をあげた。ビーズが息をする毎にリナは動けない体をよじらせた。ビーズはもう一度もがいた。キャビネットはなんとも動かない。二人の汗は薄い衣服を通して混ざり合った。リナの体はやさしかった。
秋の大和路
2010年12月17日 12:00
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コメント(2)
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K.Ishikawa:2010年12月19日 08:01
人を惹きつける小説(単行本が欲しい)
見事な紅葉の写真。
これからも楽しみです。
伽耶雅人:2010年12月19日 19:58
ケイ・イシカワさま
お便りありがとうございます。
イシカワさんのお言葉、とても嬉しく、大きな元気をいただきました。これからもよろしくおつきあいください。(on Jnet)
伽耶雅人 拝