'."\n" ?> 伽耶雅人の「奈良の奥山から」:ビーズ (パミールのはてに) vol.35 伽耶雅人
伽耶雅人の「奈良の奥山から」

2011年1月17日

ビーズ (パミールのはてに) vol.35 伽耶雅人

二人は「救急袋」を背に再び走って村に降りた。
殆どが焼け焦げ、焼け爛れて死んでいた。肉の焼けた匂い。
だが、生きている者もいた。ナパームの通り筋から離れたところにいた者だろう。
苦しんでいる者を見ると、本能的、反射的に医者の職業意識が戻って来た。
すぐ手当てをしなければならない。まず、動ける者を集めることにした。
動ける者に頼んで、毛布や絨毯を担架にして、動けない者を安全な場所に移した。
担架と言っても、実際はボロ毛布や絨毯だけだから、地橇のように引き摺っていった。
安全な場所に到着すると、まずきれいな水で患部を洗浄し、冷やす。しかし、火傷のひどい者は毛布や襤褸切れで包んで、体温を下げさせないようにしなければならない。
リナが袋に詰め込んだ薬剤は消毒薬、鎮痛・消炎剤、抗菌剤、外科手術道具、包帯などだった。
ビーズは「リナはなかなか気転の利く女房だ」と感心した。彼は必死で治療をしているうちに自分の中で仕返しの心が殆どなくなっているのに気付いた。
「命をひとつでも救うことが私の生きる証だ」と。心が温かいもので充たされた。
なぜか時間の感覚がなくなっていた。「ビーズ、私はもう往くけど、頑張ってね。リナを大切にしてね」アンナの声が聞こえたような気がした。だが、暫くして気がつけば血みどろの現実に戻っていた。
真剣な顔で患者に包帯を巻いているリナを見ながら、ビーズはにこっと微笑んだ。
リナはビーズのにこにこ顔を見ながら「ビーズも角が取れて本当に円満になったわ。いつも患者に間の抜けた冗談ばかり言ってるけど、あれでビーズは『ふれあい療法』だと言うんだから、可愛いな。でも、立派だわ」と思った。「これからビーズの子供をたくさん産んで、みんなでしっかり頑張ってこの国を建てなおさなきゃね。ここしばらくは大変だけど、楽しみだわ。できれば、私は山羊を飼いたい。ビーズにおいしいチーズを作ってあげたいな」と。

ビーズは戦災の凄まじさ、人々の悲痛を克明に記録した画像と反戦アピールをソグドの末裔に託してマリオに送り、医薬品、食糧、それに医師団の派遣も要請した。
数日後、医師団以外は全て叶えられた。残念ながら戦争危険地域への医師団派遣は不可だった。「仕方がない。自分で人を集め、人を育てていこう。そして、平和のためのアピールを続けよう」ビーズは寝る間も惜しんで活動を続けた。

1997年6月、タジクの内戦は国際社会の仲介による民族和解政権の樹立により一応の集結を迎えた。これで空爆の恐怖もようやく薄らいだ。
時の経過とともにビーズは現地語にも習熟し、若者の医学指導にも熱を入れた。リナを伴い、医薬品を馬の背に乗せてどこまでも往診に出るようになった。往診先は一様に貧しく、まさに「食うや食わず」の状態だった。二人は人々の自立を願った。そして、行く先々で「銃を鍬に換え、大地に戻れ」を訴えた。人々は荒地に水を引き、耕し、鶏や羊を飼い始めた。新たに子供も生まれ、村がだんだんと村らしくなってきた。

それから更に数年が経った。2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こった。これを境に世の中は大きく変わった。
アメリカはアフガンを取り巻く中央アジアの小国群に空軍を派遣し、嘗ての盟友タリバン、アルカイダを叩くと同時に、このあたりの政治地図を大きく塗り変えてしまった。
中央アジアの小国群はイスラム原理主義の浸透に手を焼いていたので、アメリカの軍事介入を歓迎した。
ロシアは中央アジアでの覇権を一時、アメリカに預けた。当時のアメリカの勢いには抗い難かった。同時にロシアはアメリカの動きに便乗した。この機会をとらえ、チェチェン共和国の独立運動に対する攻撃を強化した。アメリカ、ロシアそれぞれがイスラム過激派に対する戦いとして、互いが互いの軍事行動に口を挟まないという暗黙の了解を成立させた。
こういう流れの中、タジクの反政府ゲリラは国の主要部ではロシア軍と政府軍に押さえ込まれ、東部の高原地帯に身を潜めることになった。が、火種は消えたわけではない。
2010年9月21日付けの朝日新聞記事によれば、「中央アジア・タジキスタン中部のラシト地区で19日、国防省の軍兵士の車列が武装集団の襲撃を受け、兵士ら23人が死亡した。国防省は、襲撃には1990年代からの反政府勢力の元野戦司令官が関与していると指摘し、地域の不安定化を狙ったテロ行為だと主張した。武装集団には隣接するアフガニスタンのほか、パキスタンやロシア南部チェチェン共和国からの雇い兵がいるとされる」となっている。
因みに、これは同紙モスクワ支局からの記事、つまりロシア政府筋の発信記事である。

ビーズのところには引きも切らず患者たちがやって来る。
往診にも行く。パミールの空は海のように広い。何もあの頃と変わっていない。
ただ、ひとつ、リナとの間に二人のかわいい息子が出来たことを除けば。
2010年10月完


P/S:本編を思い立って(素描してから)既に10年が経った。
その後、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ、そしてアフガン戦争。タリバンやアルカイダが報道を賑わし、一時タジキスタンを含む中央アジアの国々もクローズアップされた。
一方、それに引き続き起こったイラク戦争により、世界の目は中東に移っていった。
さらに、リストラの嵐、デフレ不況がそれに続いた。最近ではリーマンショック後の世界経済恐慌でタジキスタンなどという国名は誰ももう覚えていないかもしれない。
だが、この世の片隅にはビーズのように大国の思惑や動きに左右されず、弱く貧しい人々を少しでも救おうとしている者がいることを心の片隅に置いてもらえば、これほど嬉しいことはない。


イズマイロボで見つけた田舎娘Li.JPG


モスクワ・イズマイロボのガラクタ市で見つけた可愛い娘(人形)

2011年1月17日 12:00

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コメント(2)

『タジキスタンを含む中央アジアの国々』がソ連の自壊後、如何なる状態だったか国境を越える医師団以上に異国に生きる医師ビースを通して、垣間見れた小説、 憲法9条で支えられて平和国家に住む日本人のこれからの生き方のある理想のモデル”ビーズ”の物語、有り難うございました。

(モスクワ・イズマイロボのガラクタ市で見つけた可愛い娘の人形)を見ているとアンナとリナを見る思いがします。

 復讐の連鎖でない生き方こそという結末も奈得でき、読み応えがありました。有り難うございました。


 

ケイ・イシカワさま
いつも大きな元気をいただきました。おかげさまで何とか最後まで書き終えることができました。これからもよろしくお願いいたします。
親愛なるイシカワさま、感謝
伽耶雅人

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