伽耶雅人の「奈良の奥山から」

2011年1月17日

ビーズ (パミールのはてに) vol.35 伽耶雅人

二人は「救急袋」を背に再び走って村に降りた。
殆どが焼け焦げ、焼け爛れて死んでいた。肉の焼けた匂い。
だが、生きている者もいた。ナパームの通り筋から離れたところにいた者だろう。
苦しんでいる者を見ると、本能的、反射的に医者の職業意識が戻って来た。
すぐ手当てをしなければならない。まず、動ける者を集めることにした。
動ける者に頼んで、毛布や絨毯を担架にして、動けない者を安全な場所に移した。
担架と言っても、実際はボロ毛布や絨毯だけだから、地橇のように引き摺っていった。
安全な場所に到着すると、まずきれいな水で患部を洗浄し、冷やす。しかし、火傷のひどい者は毛布や襤褸切れで包んで、体温を下げさせないようにしなければならない。
リナが袋に詰め込んだ薬剤は消毒薬、鎮痛・消炎剤、抗菌剤、外科手術道具、包帯などだった。
ビーズは「リナはなかなか気転の利く女房だ」と感心した。彼は必死で治療をしているうちに自分の中で仕返しの心が殆どなくなっているのに気付いた。
「命をひとつでも救うことが私の生きる証だ」と。心が温かいもので充たされた。
なぜか時間の感覚がなくなっていた。「ビーズ、私はもう往くけど、頑張ってね。リナを大切にしてね」アンナの声が聞こえたような気がした。だが、暫くして気がつけば血みどろの現実に戻っていた。
真剣な顔で患者に包帯を巻いているリナを見ながら、ビーズはにこっと微笑んだ。
リナはビーズのにこにこ顔を見ながら「ビーズも角が取れて本当に円満になったわ。いつも患者に間の抜けた冗談ばかり言ってるけど、あれでビーズは『ふれあい療法』だと言うんだから、可愛いな。でも、立派だわ」と思った。「これからビーズの子供をたくさん産んで、みんなでしっかり頑張ってこの国を建てなおさなきゃね。ここしばらくは大変だけど、楽しみだわ。できれば、私は山羊を飼いたい。ビーズにおいしいチーズを作ってあげたいな」と。

ビーズは戦災の凄まじさ、人々の悲痛を克明に記録した画像と反戦アピールをソグドの末裔に託してマリオに送り、医薬品、食糧、それに医師団の派遣も要請した。
数日後、医師団以外は全て叶えられた。残念ながら戦争危険地域への医師団派遣は不可だった。「仕方がない。自分で人を集め、人を育てていこう。そして、平和のためのアピールを続けよう」ビーズは寝る間も惜しんで活動を続けた。

1997年6月、タジクの内戦は国際社会の仲介による民族和解政権の樹立により一応の集結を迎えた。これで空爆の恐怖もようやく薄らいだ。
時の経過とともにビーズは現地語にも習熟し、若者の医学指導にも熱を入れた。リナを伴い、医薬品を馬の背に乗せてどこまでも往診に出るようになった。往診先は一様に貧しく、まさに「食うや食わず」の状態だった。二人は人々の自立を願った。そして、行く先々で「銃を鍬に換え、大地に戻れ」を訴えた。人々は荒地に水を引き、耕し、鶏や羊を飼い始めた。新たに子供も生まれ、村がだんだんと村らしくなってきた。

それから更に数年が経った。2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こった。これを境に世の中は大きく変わった。
アメリカはアフガンを取り巻く中央アジアの小国群に空軍を派遣し、嘗ての盟友タリバン、アルカイダを叩くと同時に、このあたりの政治地図を大きく塗り変えてしまった。
中央アジアの小国群はイスラム原理主義の浸透に手を焼いていたので、アメリカの軍事介入を歓迎した。
ロシアは中央アジアでの覇権を一時、アメリカに預けた。当時のアメリカの勢いには抗い難かった。同時にロシアはアメリカの動きに便乗した。この機会をとらえ、チェチェン共和国の独立運動に対する攻撃を強化した。アメリカ、ロシアそれぞれがイスラム過激派に対する戦いとして、互いが互いの軍事行動に口を挟まないという暗黙の了解を成立させた。
こういう流れの中、タジクの反政府ゲリラは国の主要部ではロシア軍と政府軍に押さえ込まれ、東部の高原地帯に身を潜めることになった。が、火種は消えたわけではない。
2010年9月21日付けの朝日新聞記事によれば、「中央アジア・タジキスタン中部のラシト地区で19日、国防省の軍兵士の車列が武装集団の襲撃を受け、兵士ら23人が死亡した。国防省は、襲撃には1990年代からの反政府勢力の元野戦司令官が関与していると指摘し、地域の不安定化を狙ったテロ行為だと主張した。武装集団には隣接するアフガニスタンのほか、パキスタンやロシア南部チェチェン共和国からの雇い兵がいるとされる」となっている。
因みに、これは同紙モスクワ支局からの記事、つまりロシア政府筋の発信記事である。

ビーズのところには引きも切らず患者たちがやって来る。
往診にも行く。パミールの空は海のように広い。何もあの頃と変わっていない。
ただ、ひとつ、リナとの間に二人のかわいい息子が出来たことを除けば。
2010年10月完


P/S:本編を思い立って(素描してから)既に10年が経った。
その後、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ、そしてアフガン戦争。タリバンやアルカイダが報道を賑わし、一時タジキスタンを含む中央アジアの国々もクローズアップされた。
一方、それに引き続き起こったイラク戦争により、世界の目は中東に移っていった。
さらに、リストラの嵐、デフレ不況がそれに続いた。最近ではリーマンショック後の世界経済恐慌でタジキスタンなどという国名は誰ももう覚えていないかもしれない。
だが、この世の片隅にはビーズのように大国の思惑や動きに左右されず、弱く貧しい人々を少しでも救おうとしている者がいることを心の片隅に置いてもらえば、これほど嬉しいことはない。


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2011年1月14日

ビーズ (パミールのはてに) vol.34 伽耶雅人

武装ゲリラの一隊が村にやって来た。一様に髭面で目つきが鋭かった。しがし、どこかで血が繋がっているのか、村人は彼らを喜んで迎え入れ、進んで食べ物や飲み物を提供した。髭面の兵士たちは広場にアメリカ製の小型ミサイルを並べ、どのように敵機を撃ち落すかを得意そうに説明し、図解さえした。村人は初めて見るハイテク兵器に度肝を抜かれ、一目惚れした。
ビーズはこの様子を見て、「矛盾」という言葉を思い出した。「楚の国の商人が矛と盾を売り歩いた。この矛はどんなものでも貫く。この盾はどんなものも防ぐと自慢した。その両方をぶつけるとどうなるかと問われ、彼は答えることが出来なかった」そうだ。これが矛盾の語源というが、ビーズは思った。「矛と盾は無限に連鎖反応を起こす、癌と同じだ、その先は滅亡しかない、矛と盾はこの世から除去せねばならない、、」
気がつけば、ビーズは並べられた小型ミサイルのすぐそばに来ていた。
ミサイルの実物はと言えば、電子機器が満載だというが、その操作は簡単なコンピュータゲームを連想させた。問題は、武装ゲリラがこのようにして純朴な村人の心を掻き立て、兵を募り、戦線を拡大させようとしていることだ。ビーズは暗い気持ちで村人の浮かれ姿を眺めていた。リナにはそれが痛いほど分かり辛かった。

因みに「スティンガー」とは英語で「昆虫の毒針、蛇の毒牙」という意味。
まさに小型ながら毒針となって、大型の航空機を確実に捉え、撃墜する。
当時多用されたFIM-92 スティンガーミサイルの誘導には赤外線・紫外線目標捜索装置(シーカー)が用いられている。このシーカーは赤外線画像をデジタル画像として処理するため、フレア(航空機がミサイルの追尾から逃れるため空中に放出する欺瞞装置、おとり)に対しての対抗性能が極めて高い。

ミサイルには安全装置がついており、それを解除するにはコードを入れる必要がある。つまり、ゲリラの隊員以外には操作が出来ない仕組みになっていた。黒髭の男がリナに「お前に内緒でコードを教えようか」とモーションをかけてきたが、リナは「結構」と一蹴した。
リナは夕食を済ますとしっかり戸締りをして、「今晩は早く寝ましょうね」とビーズをベッドに誘った。彼女はビーズに髭面たちの粘っこい目からわが身を守って欲しかった。
武装ゲリラたちは夜更けまで広場で村人とともに男ダンスや手拍子で宴会を開いていたが、朝早く村から立ち去った。数人の村人も彼らとともに消えていた。リナは髭面たちがいなくなってほっとしたが、消えた村人を思うと複雑な気持ちだった。

アフガンはタジクの南側の国で、タジクと1300kmの国境で接している。
前述の如く、1979年からのアフガン戦争ではソ連は親ソ政権を護るためにアフガンに大軍を送り込んだ。ところが、アメリカ、パキスタンなどが後押しする反政府ゲリラの抵抗に遭い、1989年、アフガンから敗退した。このことがソビエト社会主義体制を崩壊させる引き金ともなった。
タジクの内戦も「ゲリラ戦」かつ「大国の介入や支援」という点でソ連=アフガン戦争に通ずるものがある。タジクでもパキスタン、アフガン経由で入ってくるアメリカ製の携帯型兵器は航空戦力を持たない武装ゲリラにとって最強の武器となった。ロシア軍側の撃墜された攻撃ヘリ、航空機の殆んどはスティンガー・ミサイルによるものだった。

タジク反政府ゲリラの執拗な反撃に対抗してロシア軍は空爆域をさらに拡大し、ナパーム弾も使い始めた。ロシア軍は難民の群れも恐れた。ロシア兵には難民とゲリラの区別がつかない。ロシア空軍機は時として、自衛のため難民の群れにナパーム弾を落とす。一瞬に広がるオレンジ色の炎は全てを焼き尽くす。生存者はゼロに近く、幸いにして生存した者も火傷に苦しむ。

往診からの帰路、ビーズとリナは強盗や軍隊を避けて山道を進んだ。
最近は政府軍と強盗の見分けが付かないほど状況が混乱して来た。政府軍の名を借りる強盗もいれば、強盗を働く政府軍の兵もいる。難民も自衛のため武器を持つ。
難民が武器を持つがゆえに、攻撃側は難民に対する殺戮や略奪を「武装テロリストとの戦い」として正当化する。殺しあいが際限なく続く。

ビーズとリナの村・パセルカはあと数キロの距離にあった。山中から見下ろす村の家々は白い壁が夕陽に映えていた。夕餉の煙がたなびき、そこはのどかな春の夕暮れだった。
三機の大型の飛行機がビーズとリナの頭上を飛び越え、村を襲った。
一斉にナパーム弾をばら撒いた。村のある谷間を下から上にオレンジの炎が走った。
もの凄い勢いで、巨大な赤蛇のように地をなめて行く。
ナパームの炎がこんなに大規模なものとは想像もつかなかった。
目の前ですべてが焼き尽くされた。山の斜面のテント村も焼かれた。
悲鳴は聞こえず、轟音だけが谷間に響いた。
飛行機は谷を焼き尽くすと、そ知らぬ顔をして、その場から飛び去ってしまった。

リナは力を失って、ビーズにもたれ掛かった。ビーズはリナを抱きとめた。
リナの柔らかい肌に鳥毛が立ち、体が小刻みに震えている。
彼女は泣いた。ビーズはリナを抱いたまま、しばらく茫然としていた。
村は燃えていた。
ビーズは患者のことが気になって、山の斜面につくったビーズ病院に急いだ。
テントは焼け、患者も医者見習いも黒こげになっていた。
敵は傷病患者のテント村も見逃さなかった。
医者になりたいと一生懸命勉強したシャリー、アメルも死んでいた。
ダリサ、レイラの死骸は黒こげになり、抱き上げるとカサカサと乾いた音を立てた。
「これが、元気だったあいつらの遺骸か。こんなにボロボロになってしまって」と思うとあまりにも可哀想で、涙が止まらなかった。
ロシアやタリバンは勿論のこと、戦争を煽ったアメリカにも強い憤りを感じた。
こいつらは人を殺してまで、他人の土地を支配したいのか。弱い者は幾ら殺しても構わないのか。奴らは自分や自分の家族が同じ目に遭わされても仕方ないと諦めるのか。
畜生、原爆でも作ってモスクワとワシントンに仕掛けてやる。それが出来なければ、政府の高官たちをミサイルで吹っ飛ばしてやる。それぐらい俺にだって出来る。
ビーズの心は憎しみに燃えた。仕返ししか考えられなかった。
「皆死んでしまった。もう我慢の限界だ。死ぬ覚悟でロシアにもアメリカにも目に物を見せてやる。俺らだってもう少し早く帰っていたら、今ごろは真っ黒こげだった」
「ビーズ、やめて。あなたが仕返しをしたら、相手の遺族はまた仕返しをするわ。
それより、生きて訴えましょう。戦争をしてはならないって。人を殺してはいけないって。この姿をすべて写真とビデオに撮ってちょうだい。マリオに送るのよ。それから、ひとりでも多くの人を救いましょうよ。ほら、あなた、斜面に洞穴を掘って、そこにお薬を入れてるでしょう。きっと無事よ。あれを使って、火傷や怪我をした人達を助けましょう。こんなことを言ったら、あなた笑うかもしれないけど、あなたと私が生き残ったのは神さまの思し召しだと思うの。人を救いなさいって」
「君は口惜しくないのか。みんな殺されて、コゲ屑のようになっているのに」
「くやしい。でも仕返しなど、自分には出来ない」
「ずれるなあ。リナ、おぼこ過ぎるよ。それはともかく、洞穴の様子を見てみようか」
彼は「今度こそはリナのペースに乗せられるものか」と思いながらも、洞穴の様子が気にかかった。息は切れるが必死で走り、洞穴に着いた。
入り口付近はやはり焼け焦げていた。油の焦げた匂いを気にしながら、二人は中に入った。奥の倉庫は無事だった。食料も医薬品もそのままだった。
ビーズは「もし病人をこの中に導き入れる暇があったら、多くを救うことが出来たのに」と口惜しがった。嫌がっても、患者は洞穴の中に入れておくべきだったと後悔した。

リナは袋に食品と医薬品を詰め込み「はい、救急袋、これはあなたが持って」と二つの袋をビーズに差し出し、自分用にも重い袋を二つ作って「さあ、村に降りましょう。爆弾から遠いところでは人は生きているはずよ。早く行ってあげなくちゃ」とビーズを急かす。

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2011年1月12日

ビーズ (パミールのはてに) vol.33 伽耶雅人

皆、髭面で恐ろしそうな顔をしていたが、中味は注射さえも怖がる普通の人間だった。
麻酔注射を打ち、消毒して、切開して銃弾を抜いたり、縫合したり、骨折には添え木をしたり、包帯を巻いたり、薬をつけたり、あれこれしているうちに3日間の逗留となった。最後にと、薬品の説明をして、当座の必要量を渡すことにした。「もしもっと必要なら、パセルカという私の村に人をよこしてくれ」
コマンジール・イズミールは晩餐を用意し、リナとビーズを上座に座らせた。
「ドクトル・ビーズ、ありがとう。この先、わしらと同行してほしいが、、と言ってもそれは無理だろう。わしの部下でこれはと思う者が二人ほどいるから、それをお前さんたちのガード兼見習いにしてくれれば、とても有り難いが」
「喜んで引き受ける」
「よし、決まった。ヤムス、イゴル、お前たちはこれからドクトル・ビーズの弟子だ。さあ、乾杯だ。ところで、ドクトル・ビーズ、あんたにはお礼をしたい。わしらに出来ることは何でもする。あんたの希望を言ってくれ」

ビーズはイズミールに「ここを立ち退いて欲しい」と申し出た。
「コマンジール、あなたはセレスコ村の空爆をご覧になりましたか」
「話は聞いたが、わし自身は見ていない」
「私は見た。一方的な殺戮だった。あなたを守るために多くの村人が殺されたというのにあなた自身はそれを見ていなかったというのですか」
「わしはセレスコ村に一分隊を派遣して、支援物資を送りつけたが、、そうか、多くの村人は投降せず、その分隊を庇って一方的に攻撃されたというのだな」
「その通りです」
「君はわしさえいなくなればロシア軍の空爆はなくなるというのか」
「少なくとも、空爆の理由はなくなります」
「そうか、よく分かった。ひとつ誤解しないで欲しいが、わしらは原理主義者タリバンでも、山賊でもない。だが、ジハード(聖戦)は昔から受け継がれた我々の責務だ。その通信装置でビシケクの協力者と話ができるかな」
「すぐにも出来ます。但し、話をしたら、装置を捨て、急いでその場から離れなければならなりませんが、、」
「そんなことはわしのほうがよう知っとるわい。ドクトル・ビーズ、お前さんは奥さんと一緒に今すぐここを離れてくれ。通信装置はもらう。代わりにあんたらに護衛をつけてパセルカ村に送り届けよう。出来るだけ多くの食料も持たせよう」有無を言わせない勢いだった。「ヤムス、イゴル、アシド、テンギス、急いで用意をしろ!」
4人の若者は荷物をまとめると、ビーズとリナの前後を固めつつイズミールのもとを去って行った。

ビーズたちを見送ると、イズミールは一人で夜の荒野に出て、ビシケク(キルギスの首都)にいるマリオに回線を繋いだ。
「ドクトル・ビーズの友人のマリオだね。わしはロシア軍とタジク政府軍に追われているイズミールという者だ。ビーズからこの衛星電話を貰い受けて君と話している。わしは今、パミールの奥深い谷間にいる。マリオ、わしらの主張を電波を通じてロシアや世界に伝えてくれないか」
「あなたは本当にコマンジール・イズミールですか。もしそうなら、そして、もしコマンジールの声をライブで流せるなら、それは大スクープ、願ってもない話です。ただ、世界に流すには準備に30分ほどかかるので、一旦、電源を切って、場所を変えて、再度コンタクトしてほしいのですが」
「私が本物かどうかは当局の反応を見れば分かるはずだ。周波数分析装置とかで声紋を照合してくれるよ。とにかく30分後に電話をかけなおす」
イズミールは電源を切って、あたりをぶらついた。月面のような荒地だった。そしてちょうど30分後、再度電源を入れた。マリオはスタンバイOKを告げた。イズミールはマイクに語りかけた。
「わしはロシア軍やタジク政府軍から指名手配を受けているコマンジール・イズミールだ。タジク、ロシア、アメリカ、アフガンの人々、世界中の人々に話をしたい。
我がタジキスタンは旧ソ連15カ国の中で最貧国だ。ただでさえ国中が食うや食わずの極貧、にも拘らず旧共産党の利権集団は国の財産を我が物にしている。古い支配体制をあくまで維持しようとしている。今、タジクは新しく生まれ変わらねばならない。そのためには、まず利権集団を排し、旧体制を覆し、国を民主化せねばならない。わしらはテロリストでも強盗でもない。タジクの人々の生活と権利を守るために戦っている。この世の不条理と戦っている。
ロシア軍と政府軍はわしをイスラム原理主義者、爆弾テログループの首領、麻薬王と称しているようだが、全くの謀略だ。確かにわしはイスラム教徒だが、狂信者タリバンではない。
数日前、ロシア空軍はわしを狙ってセレスコ村を襲撃した。そこにおったのは貧しい村民とわしが村に送り込んだ若者たちだった。村民は支援物資を運んできた若者を庇って、投降勧告に応じず村に留まった。結果、村は空爆を受けて壊滅した。
その様子をドクトル・ビーズがビデオ撮影したから、遠からず画像がそちらに届くだろう。
おそらく、この通話を察知してそろそろロシアの攻撃ジェットがここを目指して飛んでくるだろう。お願いする。ロシア、アメリカ、タリバンは直接にも間接にも我が国から手を引いてくれ。今までどれだけの人が傷つき、飢え、泣いたか。あなたは想像できるか。戦争はもうこりごりだ」
マリオは「よく分った。コマンジール・イズミール、今すぐ、逃げてくれ。きっと、すぐにもジェット機の攻撃が始まる。今すぐ、この通話を中断して電源を切ってくれ」と叫んだ。
「いや、続ける。皆、聞いてくれ。わしがこの世にいることで多くの村々が襲撃され、多くの人々が殺されるのなら、わしはこの身を捨てて、殺戮を止めさせたい。ロシアのハゲタカよ、わしが憎いなら、わしを殺せ。その代わり、無意味な人殺しは止めてくれ。
わしはわしのために犠牲になった多くの人々のために祈りたい。わしはこの地に殺しあいで泣く者のいない国をつくりたい。子を泣かせたくない。孫を泣かせたくない。わしが死んでも、わしの意志を継いでくれる者が多く多く現れてくることを願う。一日も早くタジクに平和がもたらされんことを祈る。皆に神のご加護を!」
轟音とともに2機のジェット戦闘機が縦列で飛来し、空対地ミサイルを撃ち込んだ。イズミールと通信装置は粉微塵となり、音声もその時点で停止した。
マリオはマイクを持つ手で十字を切った。

春になって山が緑づいた頃、タジクの西と南で戦争が再開されたという噂が流れた。
イズミールの悲願に反して事態は悪いほうに動き出した。タジクの西は開けた平野部で、そこには首都ドシャンベがある。ドシャンベで爆弾テロが同時に多発した。タジクの政府高官や政府軍、ロシア軍兵などが対象となった。
車に爆弾が仕掛けられたり、道路に遠隔操作の地雷が仕掛けられた。爆弾を抱いてカミカゼ特攻をする者もいた。多くの人が集まるバザール(青空市場)でも時限爆弾が爆発した。
このような反社会的なテロ行為はテレビなどで大々的に報道された。
ばらばらになった被害者の体が何度もテレビ画面に流された。
それを待ち兼ねていたように、政府軍は大攻勢を開始した。戦車や装甲車を各方面に急行させ、反政府ゲリラの拠点を押さえていった。ロシア軍も「CIS平和維持軍の基地防衛」を目的とした空爆を開始した。ロシアの伝統的な戦法「攻撃こそ最大の防御」を実践した。
タジクは、南の大河・アムダリア川を挟んでアフガニスタンと対面する。ロシア空軍は「アフガンからのタリバン侵略を防ぐため」として、最初のうちは南部アムダリア川方面に爆撃を集中させていたが、その範囲は時を追うごとにタジク全土に広がっていった。
その結果、国外脱出をはかる難民の群れは日を追って増えていった。
去年より事態は先鋭化してきた。去年はロシア軍の空爆はこれほど激しくなかった。
一方、武装イスラムの闘いぶりも去年とは変わってきた。パキスタン、アフガニスタン経由で入って来るハイテク兵器(携帯型スティンガー・ミサイルなど)の威力は凄まじく、ロシア軍の攻撃ヘリはハイテク兵器で容赦なく撃ち落とされた。

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2011年1月10日

ビーズ (パミールのはてに) vol.32 伽耶雅人

マローズは時々やって来て、リナに「お土産」の小麦粉、鶏などを手渡し、弟たちの元気な顔を見て帰って行く。
マローズとはロシア語のジェッド・マローズ(サンタクロース)のこと。彼は物資の「担ぎ屋」で凌ぎを得ているので、皆からそう呼ばれる。彼自身も好んでマローズを通している。彼は弟たちが「医者見習い」をしているのが嬉しくてしようがない。
「シャリー、アメル、二人ともしっかり勉強するんだぞ。このチョコは皆と分けて食べろ。また来るからな。元気でいろよ」
マローズの弟や孤児たちは「お医者さんになってビーズのように人を救いたい。お医者さんになってリナのような美人を嫁にしたい」という。
ビーズは「こいつら、なかなか正直だ」と思った。
リナは彼らを見ていると、死んだ弟のビーデルを見ているような気がして、服を洗ってやったり、ご馳走を作ったり、話を聞いてやったりした。女の子たちとは一緒に糸を紡いだり、編み物もした。
リナは最近、ビーズが村人達とにこにこ顔で話しているのをよく目にするようになった。
彼女にはそれがとても嬉しかった。小枝にとまる小鳥の鳴声を聞きながら、そろそろ春が来るなと思った。ビーズは往診の依頼を受けると、どこに行くにもリナを同行させた。
リナは往診の道々ビーズと色々な話をした。彼女は「どんな宗教も、一番大事なことは人の心を救うことだと思う。私の母はいつも『この世に欲と未練を持ってはいけない。それから解放されることが、心を救う唯一の道』だと言っていた。でも、それはたいへん難しいことだわ」という。「欲と未練を捨てる」ということには何か共鳴するものがある。
ただ、ビーズはリナのいない世の中で生きるのはもう厭だった。だから、いつも同行させた。それも未練というのだろうか。

道中、頭上に仰ぐパミールの連峰は純白で、冷たく気高かった。夕方には山が黒いシルエットになり、その上に巨大な空が立つ。太陽が雲の切れ目から太い光の束を投げ落とす。
それはあまりにも雄大で人間が蟻よりも小さく見える。生きていると、凄いものに出くわすことがあるものだと驚かされる。リナは空に向かって両手を合わせている。
ビーズはリナといるとなぜか心が澄んでくる。不思議だった。

往診と言っても日帰りは無理で、最低2~3日は逗留する。
そうすると、近辺の村からビーズに「もう一歩足を伸ばしてほしい」という使いが来たり、病人本人が逗留先までやって来ることもある。ビーズはすべて快く受け容れた。
お蔭で旅から旅の行商のようにもなった。
旅先では豆や鶏肉などを入れたシチューのような物を出してくれる。暖かくて美味しかった。何よりのご馳走だった。
道中では時々、羊の焼肉屋に出くわす。これに、にんにくの茎や生の玉葱などを添えると最高にうまい。ビーズが「生きていて良かった」というと、リナは嬉しそうに頬を赤く染める。
リナをいつも連れて行く理由は、言うまでもなく「絶対にアンナのような死に方はさせたくない。生も死もともに」ということだが、実は他にもう一つの理由があった。
人里離れ、雪に埋もれた農家では、親爺が申し訳なさそうな顔で「我が家はご覧の通りの有り様で、先生にお礼をしとうにも、お渡しする物は何もござらん。せめて、今晩はこの娘にお相手させていただこうと.. 」と、酒と若い娘を差し出してくる。
勿論、ビーズは何も受け取る気はないが、これを断わったら主人と娘の面子を潰すことになる。こういう地方では面子はアラーの次に大事なものらしい。
仕方ないから、一旦申し出を受ける。
夜遅くまで娘に今までに見聞きした話などをしてやる。娘の気持ちが解けたところで、ビーズは酒を呑み、酔い潰れる。娘からモーションを掛けられても対応不能、朝まで寝たふりをする。
娘は親爺に「あの先生は酒に弱すぎる。ゆうべは完全に酔い潰れちゃったわ」と報告する。親爺は「残念だな。折角、賢い血を分けてもらえるチャンスだったのにな。今度は生卵を飲ませて、酒の量を少し減らしてやろう」と親爺は親爺らしい姦計を巡らす。
リナが傍にいると、さすがに娘を差し出す者はいない。
ただ、ビーズは「貞操に厳しいイスラムにしてはちょっと習慣が違うな」と思った。
賢者の血は別らしい。

春がやって来た。
雪が溶け、川の水が溢れ、氾濫を起こし、緑が萌える。羊は喜び、野山に散る。
ただ、道は泥濘(ぬかる)み、寸断される。往診がむずかしくなる。
それでも、ビーズは往診をやめなかった。その頃には色々な道を覚え、分かる場所には
案内人を断ってリナとともに行動した。ふたりで馬を走らせるのが至福の時だった。

そんなある日、山間の道路で数十人の武装集団と鉢合わせになった。彼らはビーズとリナに狼のような鋭い目を向けた。「女は目が青いな、ロシア女か。上玉だな」「連行しろ」
迂闊だったようだ。やはり案内人を断ったのは間違いだったか。仕方がない。なるようになれ。だが、リナだけは逃がしたい。ビーズは心の中で叫んだ。「神よ、もしいるなら、リナだけでも助けてくれ!」
二人は銃を突きつけられ、一軒の古びた農家に連行され、集団のボスらしき男の前に引き出された。馬に積んだ荷物は大きなテーブルの上に載せられた。医療具、薬品、毛布、衣類、カメラ、衛星電話、、 今はこれらの品物を見定めしているが、そのあと身体検査を始めるつもりだろう。
ビーズは「自分自身が信じていない神など当てにしてもしようがない。ボスさえ押さえれば、あとは何とかなる」と、ジャンパーのポケットに隠し持ったナイフを握りしめ、ボスを目掛けて突進しようとした。
だが、リナのほうが速かった。ビーズがナイフを取り出す前に、リナは防寒コートの内ポケットからピストルを取り出した。彼女は犯される前に自殺するつもりだった。
しかし、武装兵たちは勘違いした。リナがボスらしき男に向けて発砲すると思った。
彼らは一斉に銃を構え、リナとビーズに狙いを定めた。緊張が走った。リナが少しでも銃を動かしたら、ふたりとも蜂の巣にするつもりだろう。
「おやおや、威勢のいいお嬢さんだね。わしはイズミールだ。お前さんたちを煮て食おうとも、焼いて食おうとも思ってはおらん。安心してくれ。野暮な質問だが、お前さんたちはこんなところで何をしているんだね」
ビーズはほっと安心した。コマンジール・イズミールなら、山賊や強盗ではなかろう。
「私はビーズ・サカモトという医者で、この先の村に往診に行く途中だ。これは私の妻だ」
「そうか、あんたの奥さんか。なかなか度胸の据わった奥さんだ。わしが20歳も若かったらあんたと決闘してでも嫁にもらいたいほどいい女だ。ところで、これは何だね」
「衛星電話とデジカメだ。普通は電源を切っておいて、必要に応じてこちらからビシケクの協力者に信号を送ることになっている。協力者とはフランスの報道記者で、こちらに医薬品を送ってくれている。デジカメはこちらの状況を画像で伝えるものだ。私は医者だが、戦争の悲惨さを世に訴えて、一刻も早くこの内戦を終わらせたいと思っている」
「デジカメで戦争が終わるなら、それに越したことはないがな。現実は甘くない。ところで、袖触れあうも他生の縁だ。あんたが医者というなら、少し診ていってくれんかな。わしらの中には傷が膿んだり、骨折したり、銃弾が体に刺さったままの者がおるんでな」
勿論、ビーズは否応もなく十数人の負傷兵を同時に治療することになった。合計で数十人のゲリラ集団のようだが、負傷者が十数人というのはかなり苦戦しているようだ。

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2011年1月 7日

ビーズ (パミールのはてに) vol.31 伽耶雅人

後年、アメリカはタリバンを敵視するようになり、2001年9月アメリカで同時多発テロが発生すると、アルカイダを匿ったとしてアフガン戦争(不朽の作戦)を始めるが、この当時(1990年代中頃)、彼らは新興タリバンの勢いに着目し、タリバンとの親密な協力関係を構築しようとしていた。
つまり今ではまったく考えられないことだが、アメリカはタリバンを通じてアフガンを他の中東産油国のように近代化(富裕化)させ、親米化させようとした。実際、アメリカはタリバンと石油パイプライン敷設の交渉さえ始めていた。(当時、この情報を得た日本の商社、メーカーは「好機到来」とばかり色めきたった。現地でタリバンとの直接コンタクトを試みた商社も幾つかある)
そのパイプラインは元ソ連領のカスピ海やアラル海の海底石油を(反米イランを迂回して)アフガン経由でパキスタンに流すという一大プロジェクトだった。当然ながら、アメリカはタリバンがもとソ連の一部であった中央アジア諸国(タジク、ウズベクなど)に浸透するのを抑えれず、黙認し、隠密に後押しさえした。
一方、ただでさえ中央アジア諸国のイスラム化に神経を尖らせているロシアにとってイスラム化の尖兵たるタリバンが旧来のロシアの縄張りの中に浸透してくるばかりか、そこから石油を掘り出してパキスタンに持ってゆくというアメリカ(オイル・マフィア)の策謀に一枚噛んでさえいる!これは既にロシアの許容値を超えていた。タリバンの駆除はロシア軍にとって至上命令となった。

マリオとの話しを終えて、ビーズはひどく疲れを感じた。自分はアメリカとロシアの陣取り合戦に加担するために苦労しているわけではない。
実際、当地でビーズの耳にも入って来る最近の目立った動きと言えば、南部のアフガン国境地帯を中心にイスラム原理主義者が増殖を始めたことだ。彼らはビーム誘導の機関銃とか、携帯型ミサイルなどを携えているという。
ビーズにはそれらの具体的な性能など分からなかったが、患者や医者見習いの話から、従来のソ連製兵器の性能を何倍も超えるハイテク兵器だということは容易に想像できた。
どうも、彼らは右手にコーラン、左手に剣をかざして疾風怒濤の如くユーラシアの大平原を侵した昔のイスラム戦士を気取っているように思えた。マリオは彼らのことを「狂犬のような」と言ったが、反政府勢力全体にとっては自らの体内に巣食う「癌」のような存在だろう。ビーズは思った。彼らは反政府勢力全体を混乱させ、あらぬ方向に導き、結果、自滅させようとしている。
一方、タジク政府側はどうかと言えば、一旦冬籠りを決めたが、タリバンの動きを察知するや、新たにロシアにアフガンとの国境地帯やイスラム支配域の空爆を要請した。ロシア空軍はそれを受けて、大空襲の準備を進めている。
マリオが言っていた「春になったら大衝突が起きる」とはこの事だろう。
ロシア軍はチェチェン紛争が泥沼化しているため、正直のところ、現状、タジク紛争どころではないが、脆弱なタジク政府軍を支えなければロシアの対イスラム防衛網は破綻する。
軍部からの圧力も強まっているという。軍部の圧力は別にしても、このままでは、油断ならぬタジク政府を超大国アメリカに走らせる結果にもなりかねない。結局、ロシア大統領は空陸軍にGO-SIGNを出した。

確かに状況はビーズの手に負えないものになりつつあった。
何とか殺し合いを止めさせたい。だが、もう自分の出来ることはなさそうだ。
何か裏切られた気持ちを感じつつ、重い足取りで我が家にたどり着いた。
リナに話した。事態はビーズの意図せぬ方向に動いている。
「俺はひどく疲れた。限界を感じる。もう俺の出来ることはなさそうだ。二人でどこか静かな場所に移り住もうか」
「私、どこでもあなたについて行く。どんな苦労だってする。でも、ここの患者はあなたを心底信じている。あなただけを頼りに生きているのよ。私があなたのように出来るなら、どんなに幸せか。これほど素晴らしいことはないと思う。限界を感じるなんて言わないで、お願い」
「リナ、ありがとう。君の気持ちは嬉しい。でも、ご覧よ。いくら人を助けても焼け石に水ではないか。ちょうど地獄でお医者さんごっこをしているようなものさ。こういうのを徒労と言うんだろう」
「あなたは自分に多くを求めすぎているんじゃないの。何もかも自分に引き受けようとすれば無理がたたる。自分の出来ることを精一杯やればいいと思う。確かに、あなたが手を尽くしても、どうしようもないことだってある。救えないこともある。でも、あなたは忙しくて知らないかもしれないけど、死んでいった人の多くはあなたにとても感謝していた。この前、死んだお爺さんも『生きていて良かった』って涙を流していたわ」
「それは自分でも感じている。いや、言いたいのは、俺がどんなに頑張っても殺し合いを止めることは出来ない。世界の人々に殺し合いを止めさせるよう訴えても、大国の思惑の前につぶされてしまう。一人一人を助けても、飛んで火にいる虫のように多くの人が死んでいく」
「でも、ここの人々はあなたを必要としている。私もあなたと一緒なら死ねる。私はあなたにこの生き地獄のなかで一人でも多くの人を救ってほしい」
ビーズは驚いた。リナからこんな強い言葉が出て来るとは思わなかった。
その通りだ。一人でも救うことが出来れば、それで十分ではないか。アメリカとロシアの陣取り合戦などどうでもよいことだ。自分の出来ることをやればよい。自分を必要とする患者がいれば進んで往診もしよう。
「ねえ、ビーズ、元気を出して、ね」とリナは顔を赤らめてウインクした。
リナは俺がまだしょげていると思っているな。この際、そう思わせておこう。

ランプの灯の下で天使のようなリナが一夜の娼婦になった。アンナからのお下がりだという黒い下着がビーズの欲情を燃え上がらせた。ビーズの突進を受けてリナは絶叫とともに陥落した。陥落後、気持ちよさそうにビーズに身を寄せるリナの聖少女のような清らかな顔を見つめながら、彼は女の不思議を感じた。「天使と娼婦が同居している」

明くる日、ビーズは遠くの山脈まで馬を走らせ、マリオと短いコンタクトをとった。
「マリオ、昨夜はありがとう。色々考えたが、これからもここで活動を続ける。
もし医薬品などの支援が可能なら続けてほしい。ソグドの末裔たちに、そちらに取りに行ってもらうことにする。それから、アピール手記は書きつづける。画像を付けて君に送るよ」
「了解、ありがとう。医療品は継続する。高性能のビデオカメラも送る。だけど無理はしないで。危なくなったら連絡してくれ。その通信機もそろそろ捨ててくれ」
「了解、ありがとう」
「チャオ。ビーズ、くれぐれも気をつけて」

その日から、ビーズは往診も始めた。往診を重ねるうちに往診先から迎えが来るようにもなった。2~3人の狩人のような銃を持った男達が送り迎えしてくれる。それは、ビーズの村の長老達が往診先の部落に出した条件のようだった。
長老と言っても普通の老人で、皆が愛称のように「長老」と呼んでくれるから「長老」ということになっている。特別の権限があるわけではなかった。彼らはビーズがいるだけで安心していた。ビーズを離したくない。「どうしても、ドクトルが往診に行くなら二重、三重の護衛をつけねばならない」と頑固に主張した。
厳寒の中、深い山間への往診はビーズにとって息切れのするほどの苦労ではあったが、この苦労は救いでもあった。生きる証だった。「逃げなくて良かった。リナの言う通りだった」

マローズの弟シャリーとアメル、孤児のダリサ、レイラなどの「医師見習い」は良く働き、良く学んだ。
少なくとも、どの薬がどういう症状に効くのか、どう使うべきかなど基本的なことは理解してくれた。衛生管理、栄養補給などの重要性も理解するようになった。今まで気付かなかったが、人を育てるということはなんと素晴らしいことだろう。ビーズは疲れを感じなかった。
少年達は切開や縫合までは行かないが、負傷者の止血や消毒、傷の手当ても出来るようになった。聴診器も使えるようになり、ビーズが往診に出ても、ある程度はあとを任せることが出来るようになった。
ビーズはレントゲンを欲しがったが、それは当分無理だった。抗生剤を始め医薬品の備蓄が出来たことは嬉しかった。遠くの往診先にはどうしても一度に多量の医薬品を持ってゆかねばならない。

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2011年1月 5日

ビーズ (パミールのはてに) vol.30 伽耶雅人

ところで、「タリバン」とは一体、何者なのだろうか。なぜこういうものが現れたのだろうか。
参考まで、Mr.エイランズ著2001年1月1日付け「ソ連介入後のアフガニスタン内戦」を下に紹介しよう。まずはアフガニスタンの状況から:(一部抜粋/補足)

19世紀、アフガニスタン(アフガン)は北方をロシアの属領(ウズベク、タジクなど)、西をペルシャ(現在のイラン)、東と南を英領インド(現在のパキスタン)に囲まれ、ロシア対イギリスの争奪の地 = グレートゲームの舞台であった。
第二次大戦後、イギリスがインドから撤退すると、北から徐々にアフガンの地に共産主義が浸透していった。共産主義ソ連の影響下、それに反抗する反ソ運動も強まってきた。
1979年、ソ連は「アフガンの治安回復」の名目で軍事介入した。その目的は、勿論、親ソ政権の防護、くわえてロシア伝統の南進政策(南の不凍港確保)だった。
アフガンの反抗勢力はゲリラ戦で大国ソ連に立ち向かった。これを支援したのがアメリカとパキスタンとサウジアラビア。アメリカは武器とゲリラ戦術、パキスタンは人員、訓練場、サウジアラビアは資金を。その他、多くのイスラム諸国から義勇兵が馳せ参じた。
ソ連という巨象は狼の群れに苦戦を強いられ、消耗戦の結果、1989年アフガンからの撤退を余儀なくされた。
自国に帰還したイスラム義勇兵たちはその勢いに乗って反政府・反米活動を展開した。アメリカが最も恐れる「オサマ・ビン・ラディン」もその一人である。
一方、アフガン国内では反ソ抵抗運動の指導者たちが連合して政権を発足させた。アフガンの人々は彼らをムジャヒディン(=聖戦士)と呼び、「これでアフガニスタンは平和になる」と期待した。だが、それも夢の話となる。
権力の座を巡って、ムジャヒディン同士で仲間割れが発生したのだ。この仲間割れは内戦に発展した。これ以後、首都カブールを中心に激しい権力闘争が繰り広げられる。その間、難民は400万とも600万ともいわれ、パキスタン・イラン・中央アジア諸国に逃れている。そんな状況が2年近く続いたあるとき、突如アフガン南部に新興勢力が現れた。これがタリバンである。
このタリバン、あっという間に各地方の主要都市を制覇。これに対抗するムジャヒディンたちはことごとく駆逐されていった。当初、アメリカを初め多くの国々はこのタリバンが内戦に終止符を打つだろうと考え、支援さえしていたが、このタリバンはイスラム教の教典(コーラン)とイスラム法(シャリーア)を必要以上に過激に解釈し、「超原理主義」と呼ばれる行動をとった。厳しすぎる処刑方法、極端な女性差別、アヘン生産の奨励などなど。
こういう情報を受けて、各国のタリバンに対する反応は徐々に硬化していった。現時点でタリバン政府を承認している国は、タリバンを支援しているといわれているパキスタン・サウジアラビア・アラブ首長国連邦の三カ国だけである。
「タリバン」とは、一体何者なのだろうか?
タリバンとはアラビア語で(神学校の)「生徒」の複数形。(単数形はタリーブ)
多くはジハード(対ソ聖戦)のときにパキスタンに逃れた難民、またはその子供たちで、パシュトゥン人で構成されている。根拠地はアフガン南部の都市カンダハル。このカンダハルという町はソ連侵攻以前から貧しい町で、後進地区だった。教育もあまり十分ではなく、そのイスラムの教えもパシュトゥン人の掟「パシュトゥン・ワリ」と混ざったものだ。それが一時とはいえ、一般民衆の支持を得たわけはその徹底した清貧主義にあった。アフガン民衆は長年のムジャヒディンたちの権力闘争に疲れ果てていた。彼らは無欲で潔癖なタリバンに救民、救国の望みを繋いだのである。
彼らの指導者はムハンマド・オマル。カンダハル近郊の農村のイスラム指導者(ムラー)だった。長期化する内戦を憂い、90年代前半、弟子たちともに立ち上がった。その頃、(アフガンの主たるパトロンとなっていた)パキスタンの対アフガン政策は手詰まり状態にあった。(中略)
そんなときに、パキスタンはアフガン南部カンダハルで勢力を伸ばしつつあったタリバンを見つけ、以後、公然とタリバンの支援をするようになった。
さてこのタリバンなのだが、かなり「変」である。まず、彼らのイスラム(宗教)はアフガンにはそれまで存在していなかった。アフガンには三つのイスラムがあった。一つ目はスンニ派の伝統的イスラム。二つ目はその伝統的イスラムにスーフィズムという神秘主義的傾向を加えたイスラム。そして三つ目は60年代のイスラム急進派である。
しかし、タリバンはこのどれにも属さない独自解釈のイスラムを信奉し、それ以外のイスラムは間違ったものと決めつけている。彼らが独自解釈に至った原因は、パシュトゥン人だけの掟「パシュトゥーン・ワリ」が影響を与えていたことと、貧困による教育不足のために不十分なイスラム知識しか持ち合わせていなかったことがあげられる。その例をいくつか挙げる。
◎性犯罪者に対する処刑で彼らは前代未聞の処刑方法を行った。獣姦の罪で死刑を宣告された三人の男は、土とレンガの巨大な壁の下に連れて行かれ、その壁を戦車が押し倒し、瓦礫の下敷きになって死んだ。タリバン曰く「イスラム法に基づいた処刑」だそうだ。しかしこんな処刑は他のイスラム国では行われていないし、イスラム法には「壁を崩し、その下敷きにさせて処刑せよ」ということは書いていない。
◎また女性の存在も否定している。女性は教育を受けてはならず、働いてはならず、町によっては外出すらしてはならない。なぜなら「女は誘惑により、アラーへの信仰を妨げるもの」だからだ。女性の国連職員ですら活動を禁止され、鞭を打たれた職員もいた。餓えで苦しんでいる人々への食料援助要員ですら、女性という名目で活動を禁止された。アフガニスタンでは内戦・干ばつ・地震により、十分な作物が収穫できず、餓死者が50万~100万人と言われているのにも拘らずだ。
◎さらに西欧の文化だけでなく、アフガン国内に暮らす諸民族の文化までも否定している。音楽・踊り・スポーツ、そして凧揚げすら禁止された。96年12月、カブールで発表された宗教警察総本部の布告には次のように書かれている。
「6. 凧揚げの禁止。凧を売る店は廃止されなければならない」
「12. 結婚式での歌や踊りの禁止。これに違反した場合は家長が逮捕され、罰せられる」
◎さらにさらに、麻薬には反対しているが、アヘンには賛成の態度を取っているのだ。
イスラム教では麻薬は厳禁だが、彼ら曰く「アヘンはアフガン人には消費されず、イスラム不信者に消費されるからいいのである」と。つまりこれは、海外にアヘンを輸出しているということだ。95年以降、カンダハル一帯ではアヘンの生産量が飛躍的に増加した。タリバンがケシ栽培を奨励しているからだ。
このアヘンはイラン・中央アジアを通ってロシアやEU、アメリカ、そして全世界に流れ出ている。このようなタリバンの偏ったイスラムはアフガンという国をパシュトゥンと非パシュトゥンに二分してしまった。タリバンは支配地域を拡大させると同時に、その独自のイスラムを諸民族に強制したからだ。そして非パシュトゥンの文化を破壊していった。各勢力の残兵たちが山賊の親分のようなコマンジール・マスードのもとに集まり、北部同盟を結成する背景にはこういったタリバンの蛮行があったからだった。
またアフガンに暮らす普通の人々も彼らを恐れた。ムジャヒディンたちが内戦をしていた時代の方がまだ「自由」はあったのだ。ムジャヒディンたちは「イスラム原理主義」と呼ばれていたが、それでも社会の近代化には前向きだったし、女性の地位も認めていた。しかしタリバンは、反近代的・反欧米的、そして女性を認めなかったのである。またタリバンは国際的な承認を受けていない。国土の90%以上を獲得しているにも関わらず、国連の代表権も持っていない。代表権は依然として北部同盟のラバニ大統領が握っている。

(注)上記は2001年9月の世界同時多発テロ以前のアフガン情勢を記したものである。

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2011年1月 3日

ビーズ (パミールのはてに) vol.29 伽耶雅人

数日後、マリオからの連絡待ちでキルギスの首都ビシケクに残っていた若者達もパミールの村に戻って来た。馬の背にはたくさんの荷物が積まれていた。新しい通信装置とマリオからビーズへの手紙もあった。
「親愛なるドクトル・ビーズ、お元気ですか!
君の手記と画像ディスクを持って国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に当たりました。
当面の支援物資として医薬品、医療器具、食料、衣類を受け取りましたので君の仲間を通してそちらに送ります。君の活動に役立ててください。UNHCRのスタッフの話ではこの国に渡される援助物資や基金の殆んどが政府高官や軍幹部によってどこかに消えてしまっているそうです。君のような人から直接に支援対象者に渡される物資はその何十倍も何百倍も有意義だと言っていました。まったく同感です。今はまだ『焼け石に水』かもしれませんが、このような活動を継続し、その輪を広げてゆくことできっと『大きな変革の呼び水』となると信じます。
新たに通信装置を送ります。前回よりも性能は良くなっている(はずです)。説明書を添付しておいたので読んでおいてください。
ところで、君のパミールの仲間は昔から『物流』を生業としてきたソグドという民族の末裔だそうですね。『わしらは道づくりのプロだ。シルクロードだってわしらがつくったものだ。これから、ビシケクのマリオとパミールのビーズを繋ぐ蟻の道をつくってみせる』と言っていました。嬉しいじゃないですか。私はソグドという民族を知らなかったのですが、少し歴史を勉強してみて、絹の道とソグド人は切り離せない関係にあったことを知りました。あの駱駝の上に乗った商人こそが彼らのご先祖さま、中国人が碧眼白皙の民と呼んだ人々だったのです! などと、話は少し逸れましたが、彼らは私と君の間をどんな物でも2~3日以内に運んでみせると言っていました。彼らの力を借りて君との連携をずっとキープしたい。我々には真実を知り、世界に伝える義務と喜びがある。これが私の率直な気持ちですが、ビーズ、君もきっと同じですね。これからもよろしく!
衷心より、マリオ・ダルヴォール
P/S: この戦争で既に数十人のジャーナリストが殺されています。医者とて、もし敵を利する者と見做されたら、決して例外ではありません。くれぐれも身の安全に気をつけてください」

ビーズは「そうか。ということはリナもシルクロードを闊歩したソグドの子孫ということになるな。碧眼白皙か。それで彼女は肌が白く、目が青いのだな」と変に納得した。
彼はリナに「マリオからこんな手紙が来たよ。読んでごらん」と手紙を手渡した。
リナはそれを読んで「すばらしいわ。ビーズ、あなたの苦労が少しでも報われそうね。私はクリスチャンじゃないけど、聖書を読んだことがあるのよ。たしか『彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、国は国に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いのことを学ばない... 』って書いてあったと思う。私はこれを読んだ瞬間、胸にぐっと来たわ」
「なるほど、昔の人も人間にとって最も大事なことは殺しあいや奪いあいではなく、生きる糧を作ることだと知っていたんだな。今風に言えば『銃を鍬に変え、大地に戻れ』というところだね。俺もゆくゆくは君とそうしたいと思っている」
「ビーズ、大賛成よ。きっとそうしましょう。でも、ここの人たちにとってあなたはアラーの次に大事なお医者さんだから、すぐには無理でしょうけどね。とにかく、私たちもっともっと頑張らなくっちゃね」

これと同じ頃、タジクの外ではこの内戦に終止符を打とうという機運も高まりつつあった。国連は、遠からずタジク全域に紛争監視団を派遣するという。
西の首脳も動き出した。彼らはホットラインを通じてロシアの大統領にタジク内戦の収拾を要請した。ロシア大統領は「取引」した。西側がロシアの国内問題=チェチェン紛争に干渉しないこと、かつタジクの拠点防衛に必要最低限のCIS平和維持軍(ロシア軍)を残すという条件で西の要求を呑んだ。この結果、ロシアはタジクから軍の主力を撤退させ、暫しの間タジクでの激しい戦闘は止んだ。一時の休戦状態が生まれた。
ロシア連邦内のチェチェン共和国が独立を求めて激しく燃え出したため、ロシアはチェチェンへの兵力シフトを迫られたこともタジクから撤退の一因であった。

そんなある日、マローズが弟二人を連れて来た。「ドクトルの言うことは何でもやらせるから、こいつらを医者にしてくれ。ほら、これが持参品だ」と食料、岩塩、それに数頭の羊の群れも連れて来た。ビーズは勿論、持参品がなくても喜んで迎え入れた。
他にダリサ、レイラ、リョーシャなど数人の少年や少女がビーズのもとに身を寄せてきた。親を失い、行き場を失った子供たちだった。ビーズはリナに薬品や食料の管理を任せた。彼女はビーズの手伝いをしながら、毎日のようにダリサやレイラたちを連れて老人や孤児の世話をし、食料を配って歩いた。ビーズはリナに天性の(とビーズには思える)喜捨の心を感じた。
リナは、ビーズが一日中あちこち忙しく立ち働き、夜遅く家に帰ってくるとあっという間に寝てしまうので、始めのうち二十歳の体をもてあますこともあったが、そのうちにそういう生活に慣れてしまった。

このように(それなりに)平穏な日々が続いたある夜、ビーズが定時に通信装置の電源を入れたところ、短信音のリピートが入ってきた。「マリオがビーズと話をしたい」という信号だ。ビーズは電源を一旦切って、村から遠く離れた原野に出てマリオに衛星電話をかけた。
「ハロー、マリオ、元気か」
「ハロー、ビーズ、こちら元気だよ。君も元気か。聞いてくれ。君のアピール手記や画像は世界中に流れた。それが功を奏したのかどうかは別として、ロシア軍の主力部隊は撤退した。厳密に言えば、チェチェン方面に主力をシフトしたということになるが。とにかく、この一ヶ月、空爆や大規模な戦闘は止んでいるはずだ。そうだろう」
「ああ、そう言えば、そうだ」
「おい、おい、君は案外のん気だね」
「いや、患者の治療が忙しくて、空を見上げる暇がなかったんだ」
「ところで、西側では、君は、君の知らない間にブラックジャックというニックネームをもらっているよ。黒い眼帯をつけた正義の名医だそうだ。おめでとう、と言うべきかな。それはそうと、聞いてほしいのはこれからだ。アメリカはこの機に乗じて、この地域でのロシアの力を殺ぎ落とそうとしている。こちらの掴んだ情報では、彼らは武装イスラムの後押しをしている。タリバンという集団名を聞いたことはあるだろう。狂犬のようなイスラム原理主義者だよ。アメリカはタリバンを自らの傀儡(操り人形)にしようとしているが、そんな事をしていては、いずれ狂犬に手を噛まれることになる。それでも、今、ロシアの影響力を殺ぐ方が大事なことなのだろうか。ああ、これは私の独り言だがね。とにかく面白くない展開になってきた。
おい、聞いているかい、ビーズ。ロシアは少なくとも現状ではタジクをアメリカに譲り渡すつもりはない。タジクを手離せば、中央アジア全体が雪崩を打ってアメリカ側に流れてしまうことが目に見えているからね。春になったら、大衝突が起きる。君は十二分にやった。もう身を退いてはどうか。君のことが心配なんだ。タリバンは真っ先に外人を標的にすると聞く。外人の君がロシア軍だけでなくタリバンの標的にされてはたまったもんじゃない」
「ありがとう、マリオ。全てがいきなりだから、いまは面食らっている。落ち着いたらこちらから連絡する」
「了解。ところで医療品、食料、衣類の第二弾が用意できた。ソグドの末裔をこちらに送ってくれるか」
「マリオ、ありがとう。早速手配する」

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