2011年1月23日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
日曜日恒例の新聞書評欄紹介。朝毎読日経産経地方紙の6紙の中から。
読売――
宮内勝典『魔王の愛』(新潮社、2000円)、評者・今福龍太。探究する作家、行動する作家、そんな冠を付けるにふさわしい宮内勝典の最新作である。「9.11が露呈させた世界秩序の末期的な崩壊感覚、その後の戦争と暴力の日常的蔓延。前作『焼身』以来、宮内勝典はこの出来事と状況に徹底してこだわり続ける」。評者の紹介するように『焼身』では、ベトナム戦争の最中、抗議の焼身自殺をとげたベトナム僧侶を追ったものであった。暴力に対する対抗暴力、その連鎖はとどまることなく続くのだろうか。それを押しとどめるものはないのかもしれない。暗澹たる世界の前で佇むのだが、一縷の望みをかけて光らしきものを求める姿、そんな印象をうける。新著は、ガンディーを追っている。「現代における「暴力」の意味を究極的に問い直すため、断食と絶対的禁欲の実践をもって政治的「非暴力」の思想を貫いた唯一無二の先人ガンディーの生涯を遡ってゆく」。そして評者は「偶像破壊(イコノクラスム)はこの小説家の本能だ」と次いでいる。「きれいごとに堕してしまった非暴力を、切れば血が出る生身の思想として蘇生させようとする情熱」これがこの作家の信条である。評者・今福の短文紹介は密度の高い文章となっており、これはこのままぜひ読んでいただくのがよい。私はこの本をさっそく読むことにしたい。
ジャック・アタリ『国家債務危機』(作品社、2200円)、評者・山内昌之。いま日本が直面している問題である。900兆の債務を抱えている日本、これは突出している。子孫に巨額な借金を負わせながら私たちは生きているわけだ。しかし、欧米各国も大なり小なり同じような状況にある。評者も紹介するように、日本の公的債務は国内でおおかた保有しているといって、安心してはいられない事態がもう間近にきている。2010年にGDP比204%の公的債務は、2020年には300%になる。国内貯蓄では弁済できないほどの額にふくれあがる。「国家破綻」はよそ事ではなく現実化してきている。著者は、フランスのサルコジ大統領から財政再建策の提言を求められ、提出している人物である。日本は、まず冷静に債務解決の処方箋を書き、治療するべきときにある。その参考書となる本である。
読売新聞社会部著『親はしらない ネットの闇に吸い込まれる子どもたち』(中央公論新社、1500円)、評者・河合香織。「本書は、携帯電話を媒介として子どもが犯罪に巻き込まれ、ときには加害者になっていく様子をレポートしたもの」(評者)。家出して、携帯で知り合った男の家を転々としてきた少女、ときに軟禁され、ナイフで傷つけられ、それでも家に帰るよりましだという。AKB48のライブのために下着を売る。学校裏サイトを運営して、恐喝する。ドラッグを買う。ホントウの話が数多く集められている。大人たちは知りたくない、見たくない話かもしれない。しかし、子どもたちは孤立し、不安定に吊されているような状態にあり、だれも手を差し伸べていない現実。こんな社会にしているのは私たちである。
日経――
橘木俊詔『無縁社会の正体 血縁・地縁・社縁はいかに崩壊したか』(PHP研究所、1300円)。10行短評である。著者には岩波新書『格差社会』(2006年)『日本の教育格差』(2010年)など多数の著書がある経済学者だ。戦後の高度経済成長は暮らしを変え、人々のつながりを希薄にした。現在みられる高齢単身者の増加や結婚・離婚などに焦点を当てて、無縁社会の現状、対策が書かれている。この「無縁社会」という言葉は、NHKが番組制作のなかで広めたものだ。単身世帯の増加、人との関係が希薄になり、孤立化している社会。このことは前記の『親はしらない』にもつながる日本社会の現実である。
毎日――
藤森克彦『単身急増社会の衝撃』(日本経済新聞出版社、2310円)、評者・中村達夫。はっきりいって「衝撃」慣れしてしまっている。ホントウにそれ「衝撃」ですかという気持ちで読んでみた。評者は冒頭で「読み進むにつれ、ひしひしと衝撃の意味が伝わってくる」と書いている。ホンモノかもしれない。近未来2030年には単身世帯が増え、50代、60代の男の4人に1人は一人暮らしになるという。この原因は生涯未婚率、男性29%、女性23%という数字があるからだ。そのうえ非正規労働者が増えている。非正規の生涯賃金は正規の3分の1から4分の1といわれている。これでは結婚できない。その結果、高齢未婚者が増える。労働環境整備、高齢者対策、同時に医療介護をどうするかなど問題は山積みである。こうした現実を改善するための施策と同時に税負担と社会保障のあり方を抜本的に再考し、実践すべきときである。
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした』(同時代社、1995円)。20行短評。普天間問題は棚晒しにあっている。ずるずるとこのままあの危険な米軍飛行場は居続けとなりそうだ。この問題を忘れないためにも、この本を取り上げたい。元知事だった著者は、普天間基地の歴史的経緯を語り、県内移設を拒否し、グアム移転が最善最短策だと明言している。この声を確認しておきたい。
京都――
吉原かおり写真集『カプセル・アパート』(TAP、3600円)。16行短評。1枚写真が載っている。寝台電車のような1畳半のカプセル個室に住む女性の写真だ。新人女性カメラマンもここに住んでいる。そして住人たちの暮らしを撮影した。上下2段それぞれ個室で、それがいくつか並んでいるようだ。カプセルホテルのアパート版である。今風ドヤにどんな人たちが住んでいるか興味がそそられる。
朝日――
山城むつみ『ドストエフスキー』(講談社、3780円)、評者・奥泉光。著者は大阪外語大ロシア語科出身の文芸評論家である。「文学界」に連載し、途中「群像」に乗り換えて書き継いできたドストエフスキー論を一書にまとめたものだ。ドストエフスキーの小説の秘密に迫る評論である。著者の分析手法を、評者はつぎのように言っているように、私は読んだ。ドストエフスキーの小説が読む者にもたらすものは、人と人の間にある言葉が実はそれぞれにズレがある、その感覚、異和の問題を小説の登場人物を通じて開示している、と。そうした視点を著者に提供したのはミハエル・バフチンの「ドストエフスキー論」にある「ラズノグラーシエ=異和」である。作家は、死の床にある男が自分の人生を振り返って、「自分の人生は満足すべきものだった」と内語させることは容易にできる。しかしドストエフスキーの登場人物は、ニュートラルな立場にある作家にむかって、「違う!」と反発する。そこから作家と登場人物とのながい「対話」が始まってしまう。読者はそうした行くへの分からない話に迷いこむことになる、というわけだ。私は言葉を使うことの困難さに立ち止まることがある。言葉は内在物ではない。人との関係の中で習い覚えた技法のようなものだ。しかし、自分の考えはこの言葉をつかって表出する以外に方法はない。まして他者との会話を考えた場合、言葉には意味の閉域はあるものの意味の濃淡は人によって異なってくる。そんな風に考えている。人間と言葉の関係を根本から問い直す作業と評者がこの評論を紹介しているが、そこにこの作家の強い磁場が形づくられているといえそうだ。
2011年1月16日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
日曜日恒例の新聞書評欄紹介。朝毎読日経産経地方紙の6紙の中から。
日経――
トリストラム・スチュアート『世界の食料ムダ捨て事情』(NHK出版、1900円)、無署名短評。フリーガン(freegan)とは、路上に捨てられた食品、賞味期限切れの食品を食べる人たちをさす。サッカーで暴れ回るフーリガン(hooligan)とはちがう。フリーガニズムとは、廃棄食品、その多くはコンビニやスーパーの消費期限切れ食品だが、それを食べることで、過剰な消費生活に抵抗しようという運動である。「先進国では食料の50%が無駄に捨てられるのに、途上国では10億人の人々が栄養不足に苦しんでいる」。今では食料は投機の対象になっており、そのための飢餓が起こる時代にもなってきている。著者は、学生時代からフリーガニズム活動家で、ジャーナリストだ。彼は世界を回って、食料廃棄事情を調査した。その記録が本書である。日本にも来ている。持続可能な社会、それを具体的に考えるならこうした廃棄食品をいかに再利用するかは重要な課題だろう。日本にもフリーガニズムは少しずつだが広がりつつあるようだ。読売でも短評が載っている。
読売――
森達也『A3』(集英社インターナショナル、1995円)、評者・斎藤貴男。オウムの素顔をドキュメンタリーした映画「A」、その続編「A2」があり、この「A3」は麻原彰晃の死刑判決を起点に月刊誌に連載を始めたノンフィクションをまとめたものである。麻原の精神状態は法で裁ける能力を持つのか。異常な行動の数々は詐病とされ、判決は確定する。真相は解明されないままだ。私たちはこの事件を早く葬りたいと思っているのかもしれない。しかし、解明されなければならない多くのことを残したまま、すでに死刑確定が決した者たちを死刑にすれば、ことがすむわけではないだろう。ことは終わっていないと言い続ける著者の勇気は貴重なものといえる。
朝日――
トニー・ジャット『荒廃する世界のなかで―これからの「社会民主主義」を語ろう』(みすず書房、2800円)、評者・姜尚中。以前にもこの欄で扱ったことがある。姜尚中評は、本書の問いが、20世紀の歴史の苦闘から生まれた福祉国家=社会民主主義=ケインズ主義、このコンセンサスがなぜ失われてしまったのか、にあることを示す。右派的保守の「急進的改革」に正当性を与えたのは、オーストリアの反動からと左右両極の全体主義から逃れてきた亡命知識人たち、ハイエクらである。彼らは国家それ自体を解決ではなく問題視し、経済生活から国家を解除する方向へと導く。民営化礼賛による国家の「経済力、指導力の解体」に力を与え、政治においても私たちを消費者の地位に甘んじざるをえなくさせてしまった。「民主主義の赤字状態」、この荒廃から、いかに回復するか。これは今私たちが直面している課題ではないかと思う。
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