2010年11月 6日
コラム「風」 インターネット上の議論への危惧と対応:南亭駄樂
大学で情報学を教えている身としては複雑な思いがする。インターネットを知ったときには貧乏人でも個人でも情報を世界に発信するツールができたとうれしかったことを覚えている。学生にはインターネットは自由と善意をベースにしており、影の部分を克服する努力を一人ひとりがする義務があると教えている。悪用する人が増えると権力の規制が強まり、庶民のツールが世論操作に使われることを恐れるからだ。だが、昨今のネットいじめや著作権侵害をみると自由と善意を声高に言いにくくなってしまう。
ネット右翼の乱暴な言論が広がっていくことにも大きな危惧を抱いている。しかし、ネット右翼の台頭に対して規制で対応するのは適切ではないと考えている。自分の意見と異なる活動を力で押さえるのは間違いであり、それはやがて自分に身にも降りかかってくるだろうからである。
ネットで主張を表明するとき、いいか悪いかの二元論を振りかざし、それで誇りが保たれるのか、と感情に訴えるやり方は多くの人に受け入れられやすい。ネット右翼はその特性をうまく活用している。では、私たちはそえにどう対応すべきだろうか。
私たちはもっと冷静にインターネットの影の部分に対処しなければならない。ネット右翼の主張に対しても、単純な二元論や感情を煽ることで問題は解決しないことを根気強く、丁寧に説明することで対応することが肝要であろう。現実に即した地道な提言が力を持つようにしなければならない。
以上のことをマスコミにも求めたい。マスコミは尖閣諸島や北方四島などの問題で過剰に反応していないだろうか、よく考えてもらいたい。ネット右翼と同じように、誇りや感情に訴えるのではなく、また利害関係だけで論じるのではなく、冷静に歴史や国民感情をみつめて欲しい。私に見える"一般国民"はかなり冷静に受け止めている、と思っている。
2010年11月 6日 15:35
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